アーノンクールが亡くなった

指揮者のニコラス・アーノンクールが86歳で亡くなった。古楽復活のパイオニア的存在で、この人がいなかったら、クラシック音楽演奏の歴史は違う進み行きになったのは間違いないほどの、決定的な影響力をその世界に与えた人物だった。好きか嫌いかはさておき。

高校生の頃にFM放送から流れてきたジュピター交響曲の鮮烈な演奏でショックを受けた。放送が終わった時にアナウンスが流れてアーノンクール指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏だという。リズムが立っていて、火の出るようなジュピター。それが個人的な出会いだった。

90年代の後半に、出張中のベルリンのホテルで枕元の備え付けラジオをつけたら、新世界交響曲が流れていた。久しぶりに耳にする新世界だったのだが、生気溢れる、標準的な解釈とは微妙に距離がある演奏に、これ、いったい誰の演奏だろうと思いながらついつい最後まで聴き通してしまい、放送の最後に出てきた名前がアーノンクールだった。いま、その録音を聴き直しながら、この文章を書いている。

実演に接したのは98年頃に、アムステルダムのコンセルトヘボウで聴いたシューベルトの5番の演奏が初めて。その頃、駐在で住んでいたニューヨークにもやってきてベートーヴェンの第9を振ったのが話題になったが、これは自分の出張と重なってしまい、泣く泣くチケットを他人に譲った。飛行機嫌いのアーノンクールには日本にもほとんど来なかったが、同じ理由でニューヨーク公演は随分と現地で話題になった。

最後に聴いたのは昨年3月14日、ちょうど今から1年前になるが、久々のウィーン旅行の際に、手兵のウィーン・コンツェルト・ムジクスとの演奏でヘンデルのオラトリオ『サウール』を聴くことができた。久々に目にするアーノンクールは足腰が弱っていて、舞台の中央に歩いてくるのが一苦労だった。楽友協会は満場の拍手でアーノンクールの登場を出迎え、その拍手は、彼の音楽を聴けるのが幸せだというメッセージを、彼を熟知しているウィーンの聴衆が彼に向かって伝えているという風に聞こえた。一介の旅行者は幸せのおすそ分けを頂いた気分にさせられた。まさにそんな演奏であり、演奏会だった。

アーノンクールという名前を聴くと、月並みな演奏を否定する挑戦的な姿勢と、理知的な文章と、鋭い眼光とをすぐに思い出すが、個人的には、その最後に行き会った演奏会の、彼を包み込むウィーンという土地の温かい雰囲気が記憶に残ることになった。


Nikolaus Harnoncourt