クリストフ・ヴォルフ著『モーツァルト 最後の四年間―栄光への門出』

「ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルトの創作人生の最後の四年間を、早すぎる死という破局に固定化させることなく扱うことはできないだろうか。」という一文で始まる『モーツァルト 最後の四年間―栄光への門出』は、著名なバッハの研究家であるクリストフ・ヴォルフさんが著し、翻訳をバッハやモーツァルトの啓蒙書で我々一般音楽ファンも馴染みのある音楽学者の礒山雅さん、出版社がいまや音楽の本ではいちばん充実しているといって間違いがない春秋社という組み合わせで日本語版が出版され、昨年末に本屋に並び始めた本。音楽好きには、こういう名前を聞いただけで食指が動くが、丸善本店で、この導入部をぱらぱらと斜め読みをした時点で購入を即決。1月の間、ゆっくりと読み進めた。久々に充実の読書をして得をした気分。

モーツァルトというと、サリエリによる毒殺説、映画『アマデウス』に描かれた悲惨な晩年のイメージが一般に定着しているが、本書はそうした伝説を近年の研究成果も投入しながら落ち着いた口調で一掃し、ヴォルフさんが考える晩年のモーツァルトの実像を提示したもので、目からうろこだったり、腑に落ちたりという記述の連続で、久々に知的刺激という言葉を思い出した。

日本語版のタイトルに採用され、著者が執筆のターゲットとしたモーツァルトの「最後の四年間」というのは、時の神聖ローマ帝国皇帝・ヨーゼフ2世から「皇王室貴賓室楽団」の専属作曲家に任命された後から死までの期間を指している。モーツァルトに関する通常の読物ではほとんど無視されるか、実利のない肩書に過ぎないと評価を素通りされるかでしかなかったこの事実の意味を、著者のヴォルフさんはモーツァルトにとっての重要な人生の時であったと指摘し、「皇王室貴賓室楽団」作曲家としてのモーツァルトの溌剌とした仕事ぶりを残された資料や楽譜から読み解いていく。

三大交響曲や後期の弦楽四重奏曲、「疾走する悲しみ」の弦楽五重奏曲第4番、クラリネット五重奏曲、『魔笛』など、それなくして後世がモーツァルトモーツァルトとして覚えていなかったであろう傑作が生まれた時期の彼が、最ももてはやされていた時代を過ぎて、借金まみれの貧窮生活を送っていたイメージは、映画『アマデウス』からWikipediaの記述に至るまで世間の常識として我々の脳髄に蓄えられてしまっているが、『アマデウス』では酒と病気でヘロヘロのモーツァルトが、なんでまた、それまでの作品をも凌駕する気力充実の傑作をものしていったのか、そこがどうもうまく理解できないなと思っていた人には、膝を打つしかないような話がいっぱい。

感心したのは、著者が誰もが知らない史実を発掘したから今まで人ができなかった説明をできたというのではなく、その反対に誰もが触れる証拠の品を集めただけなのに、聞けば「なるほど」と納得するしかないような合理的な説明をしているだけなのに、それをできる人が今までいなかったという事実である。反語的に言えば。

例えば、モーツァルトの稼ぎがこの時期に滅法へっていたという話について言えば、まさに彼が皇帝お抱えになった直後に始まった対トルコの大戦争で、ハプスブルク帝国の財政は逼迫し、社会全体が戦争モード。劇場は閉まり、宮廷での催し物も減って、そもそも世の中が音楽どころではない状態だったそうな。だからお金がなくなったのはモーツァルトだけではなく、王様から貴族様、一般市民、音楽家に至るまでこの時期はウィーンの皆が楽ではない状態にあったらしいのだ。
そんな世界史の年表を見れば自明であったはずの話と結びつけて、モーツァルト貧窮伝説の危うさをさらりと語ってくれた本など、これまで出会ったことがなかった!

社会経済の状況を下敷きに、モーツァルトの時代のウィーンの音楽家事情、モーツァルトの人間関係を、やはり誰もがアクセスできるはずの資料から組み立てて説明をされると、「結構たいへんな時代に、見栄っぱりな贅沢暮らしをしていたんだから、当代有数の稼ぎ手だった作曲家とはいえお金がないのは当たり前だな」と自然と思わせられるのである。

モーツァルトが楽譜の出版のビジネスとしての価値を明確に理解し、時代の先鞭をつける動きをしていた様子も本書ではっきりと描かれ、この人が世の流れを読むことに長けたベンチャービジネスの経営者のようなマインドの人物であったさまが想像される。

そうした伝記的事実の組み直しと並行しながら、皇帝陛下に使える身としての、新しいスタイルを模索するモーツァルトの姿を、著者は楽譜を参照しながら紹介する。フーガが大好きな皇帝への最初の仕事となったピアノ・ソナタK533の出版譜には「皇帝陛下にお仕えする」モーツァルト、と誇らしげに自らを宣伝しているなどという話を読みながら、当の録音を取り出して聴いてみると、対位法を強調しているつくりにはそういう訳があったのかと、あらためて興が乗る。

という具合に、小品から、『魔笛』、『レクイエム』に至るまで、モーツァルトの音楽の深化を彼の音楽家としての野望に寄り添いながら語る本書後半には、おいしい料理を食べているときと同様の、文句なしの愉悦感がある。ただし、楽曲分析の部分には私のような素人には理解が難しい部分があるのも事実。そこを解きほぐしながら、という部分も含めて、長く繰り返し読みたい書物に出会った。

翻訳は素晴らしく、まるで日本語で書かれた本を読んでいるよう。上善如水。ブラボーです。


モーツァルト 最後の四年: 栄光への門出

モーツァルト 最後の四年: 栄光への門出