フロール指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第5番

昨晩はサントリーホールにクラウス・ペーター・フロール指揮東京交響楽団によるブルックナー交響曲第5番を聴きに行きました。これが12月に同じ楽団で聴いたブルックナー交響曲第8番に負けずとも劣らぬ緊張感にあふれた演奏で、東京交響楽団の実力の高さを目の当たりにする思いを強くしました。

一緒に聴いたYさんによれば、東独出身の指揮者であるフロールは、以前はアバドや小澤の次の世代の有望株として欧州の音楽シーンでよく名前を聞いた人らしいのですが、私はまったくノーマークでしたので、偏見もなければ期待もないというまっさらな受け皿となって聴こえてくる音を受け止めてきました。

毅然とした、と表現したくなるブルックナーでした。総じて弱音で聴かせるよりも、しっかりとした強音の響きが耳に残る演奏で、楽団員はクライマックスの波をたたみかけるようにキューを繰り出す指揮者の指示に機敏に反応し、目鼻立ちのくっきりした、しかしブルックナーらしい重厚さを備えた音の伽藍を築きあげていました。微妙な陰影で織り上げた5番を期待した向きには勝手が違ったかもしれませんが、だからといって力まかせで単調な印象に陥ることはまるでなく、最後まで手に汗握るような緊張感を聴き手に強いるような演奏でした。演奏後の盛大な拍手とブラボーはむべなるかな。

東京交響楽団の演奏には、12月に続いて強い感銘を受けました。ブルックナーに先立って演奏されたハイドン交響曲第101番『時計』が、これまたこの作曲家のエスプリを十全に表現する質の高いもので、ハイドンの軽妙とブルックナーの重厚をくっきりと際立たせ、いまここで音楽が生まれる瞬間の存在を強く意識させるその音楽性に舌を巻いたのでした。「こんなふうに反応してくれたら、指揮者としてはとっても楽しいでしょうね」とYさんに言ったら、Yさんは「日本のオケも、ゲストコンダクターが来て、彼がやりたい音楽を提示されたときに、すぐにそれに対応できるだけの実力がついてきたんですよ。昔はそうじゃなかったから」と返してきました。

そういうことかもしれません。少なくとも、東京交響楽団の演奏を聴く限り、日本のオケも捨てたものじゃないと思わざるを得ませんし、もしかしたら、新しい次元に突入したのかもしれません。日本のGDPは世界第3位に後退したらしいですが、あらゆる分野で日本が停滞しているわけではないし、それどころか人の意のあるところには、それに応じた進展が確実にあるような気がしてきました。オーケストラ・コンサートの感想としては、少し飛び過ぎだと思われるかもしれませんが、今の私にはそれほど突飛な結論とも思えないのです。音楽好きの方で、最近の東京交響楽団を体験していない方は、だまされたと思って一度この楽団をお聴きになってみては如何でしょうか。別に私はこのオケの回し者ではありませんので他意はありません。本当はさまざまな分野でここそこに台頭しているのだけれど、目を凝らさないと見えてこないこの国の希望のひとつにたまたま気がついた、ということに過ぎないとしたら、それはとてもうれしいことだなと思っているだけです。


■スダーン指揮東京交響楽団のブルックナー交響曲第8番(2010年12月4日)