新しいマシン

11月の声を聞いてすぐにiPadを購入し、我が家のウェブ・ブラウジング・マシンとして使い始めたのですが、これはなかなかに便利です。思いあまって、新しいMac Book Airもいいかもしれないと思い調査をしたのですが、気が変わって今度はいわゆるひとつのネットブックを生まれて初めて購入しました。先月「徒企画」に立ち寄る前に購入したマシンです。このブログの文章は、その東芝製機械を使って書いています。iPadと正反対に起動が遅いのは玉に瑕ではありますが(SSDにしてみようかな、などと思ってはいます)、キーボードがしっかりしており、こりゃなかなかいいなと気に入っています。10年と少し前に、こいつとほぼ同じサイズ、同じ東芝製のLibrettoを購入したときには20万円近かったことを思い出すと、4万円少々でこの使い勝手を手に入れることができる現実には、たった10年なのに隔世の感を覚えざるを得ません。

同時に思います。機械なんかどれでもいいよと。機械の良し悪しで俺さまが利口になったり、馬鹿になったりにしたことはこれっぽっちもないし、などと。

また同時に思います。パソコンやアプリケーションの知識ひとつで仕事の効率は如実に左右され、ある種の競争力の差異にはつながっているなとも。しかし、そこで言う競争力は、ドングリさんとドングリさんが「どっちが背が高いでしょう!」と背伸びをしあうような世界の話で、世の中からみれば大した重要性などカケラもないに等しいようなものです。

さて、その種の差異は重要でしょうか、そうではないでしょうか? 小さな差異にドラマは宿っているかもしれません。小さな差異に拘泥するメンタリティは、世の中をちまちまと、つまらなくするかもしれません。

こんな問答はまったく意味がないように思うかもしれませんが、サディスティックかつマゾヒスティックな日本の集団主義社会に無批判・無感動でいるよりはましかもしれません。