チョン・ミョンフンとN響のブルックナー交響曲第7番

昨日はチョン・ミョンフン指揮のNHK交響楽団ブルックナー交響曲第7番を聴いてきた(2月10日・NHKホール)。先月のブロムシュテットとの第4番が素晴らしかったのが生々しく記憶に残っていたN響だが、この日の演奏は指揮者が変わってかなり雰囲気の違うものだった。

ブルックナー交響曲のなかで7番はとてもポピュラーだが、その実構成的に分かりにくい曲である。スケルツォ楽章が3楽章に置かれているのはともかく、第4楽章の割り切れなさにはどうしてもなじめない。指揮者によっては、コリン・デーヴィスなどのように、楽章を入れ替えて演奏する人もいるぐらい。第1楽章、第2楽章の、自然なフレージング感溢れる曲想の後だけに、あの4楽章は、やはりどうも。

だから、あまり好んで聴きに行くこともない曲で、20数年前に欧州でヨッフム指揮のウィーン交響楽団、90年代後半にニューヨークでムーティ指揮のウィーン・フィルで聴いたたった2回しか実演に接したことがない。ムーティブルックナーがよいかどうかはさておき、ウィーンの2楽団によるブルックナーはさすがに堪能させられた。とくにウィーン・フィルの7番は、僕がウィーン・フィルブルックナーを聴いた唯一の機会だが、「ブルックナーの響きというのは、こういうものなのだろうな」と単純に刷り込みをさせられるような体験として心に残っている。こういう体験は、実に善し悪しである。

NHK交響楽団の高い合奏能力で、思い描いていた安定感のあるブルックナーが聴けた。N響を手堅くドライブしたチョンの指揮もオーソドックスで、さすがだった。でも、チョン・ミョンフンにはブルックナースペシャリストたちが聴かせるサムシングが欠けていたと僕は思った。いや、単なる個人の趣味の問題、批評としての価値を持つことのない感想なのだが、僕の心にひっかかるものがない演奏、心に積み重なってゆくべき何かがない演奏、曲のあちこちにあってしかるべきメルクマールが見えにくいような演奏。何故だかよくわからないままに書いている。先月の、ブロムシュテットにはあった何かが抜け落ちていた。

盛大なブラボーのなかで、そんな感想を抱いて帰ってきた。
それにしても、我が国では最高の合奏能力を誇るN響を1500円で聴けるNHKホールの自由席はいい。勤め先が目黒になったおかげで獲得した楽しみである。