「学生野球の健全な発達」って何

生まれて初めて学生野球憲章なるものを読んでみた。もちろん、例の特待生問題のおかげである。周知の通り、高校野球連盟は学生野球憲章第13条への違反を理由に特待生制度を適用していた学校の処分を行ったわけだが、いったいこの野球憲章とははいかなるものか。


第一条で「学生野球の健全な発達」のためにこの憲章が定められていることが謳われている。この文言は記者会見で高校野球連盟会長が口にしていたフレーズそのものである。しかし、健全な発達と言いながら、この憲章にはこの言葉以外ほとんど理念的なことが書かれておらず、それだけ重要視しながらもう一段の敷衍がないために、実際に何を問題にしているのかがはっきりしない。いったい健全な発達ってなんだろうと憲章を読み進めると、憲章を作った人たちは野球がビジネス化しないことばかりを気にしていることがよく分かる。対外試合はどんな場合に認められるのか、試合の主催は誰がしてよいのか、入場料はどんな場合に取ってよいのか、プロ野球の選手とどのように関わってよいのか、エトセトラという具合である。


プロ野球サイドであろうが、高校であろうが、個人であろうが、金儲けと高校野球とを結びつける意図を持つ者は決して許さないぞという強い意志は認められる。しかし、ほかには何があるのだろう。連盟はこうした規則を打ち立てることでアマチュアリズム賛美と組織の権力を維持することに大いなる意志を表明していることだけが了解できるのだ。


大いに不満である。高校野球連盟は時代錯誤と言いたくなるビジネスへの敵意を露わにするが、はたしてビジネスそれ自体が悪なのか、金儲けが悪なのかと言えば、そんなことはないはずなのであり、不明朗な裏金の存在が糾弾されこそすれ、適正な野球奨学金が高校のビジネス上の努力として採用されることそれ自体を問答無用で問題視する連盟のおじさん達の熱意には「わかりません」というしかない。その意図をもう少し分かりやすく説明して欲しいものだと考えてしまう。


さらに言えば、野球のビジネス化というトレンドは、連盟の権力温存にとって大きな問題かもしれないが、社会にとっては奨学金や特待生や一部の裏金よりももっと問題すべきことがある。「学生野球の健全な発達」を阻害しているもっとも大きな問題は、パワーハラストメントの温床、パワハラを覚える学校としてこの種の体育会活動が存在していることにこそあるというのが個人的な率直な感想だ。僕は自分の子供らが二人高校生なので、彼らや彼らの友人達を通じて、未だに有名校野球部でたった一年だけ年上の上級生が下級生に対してありえないような口の利き方をし、ありえないような権威による精神的暴力をふるっている様を話として聞くことになる。「いじめ」という言葉を使ってしまうと解釈によってどうとも取れる(「これはトレーニングの一環であって決していじめではありません」というような)余地が入り込むように思われるが、これを今日の企業で問題とされている「パワーハラストメント」と同等の問題としてきちんと定義化し、これこれのことは決してやってはいけないと規則にしていくことが有効だと思う。数日前の記者会見の映像で、教育としての野球ということが言われていたとぼんやり覚えているが、もし本気でそう考えるのであれば、日本社会の悪しき因習であるこうした儒教道徳のカビくさい残り香のような集団による暴力を根絶することを本気で考えるべきだ。


「そのような事実はない」と高野連のお偉いさんは言うのだろうか。それとも健全な上下関係は健全な野球の発達に不可欠だとでも言うだろうか。それとも「そうした事実については調査できていない」と言うのだろうか。部活動におけるパワハラの問題は、あまりに軽視され続けていると僕は感じる。「学生野球の健全な発達」のために、この問題をしっかりと俎上に乗せる勇気が高野連にあれば、「見直したぜ」と言ってあげたいのだけれど。


連休中、下の息子が入部した高校の練習試合を初めて覗いてきた。5対5の引き分けで終わった試合はなかなかに見応えがあった。息子のチームは夏の予選一回戦突破が今年の目標なのだそうだ。7月には会社を一日休んで応援に行きたいと思っている。


■日本学生野球憲章(高野連ホームページより)