高校野球雑感

昨日、甲子園優勝校と県大会の3回戦を戦った息子が所属する高校の野球部は、二人が四球とエラーでランナーに出るのがやっとだった。仕事から帰って応援に行った家族に聞くと、相手チームのエースにみごとノーヒット・ノーランに切って取られ、今年の戦いが終わったとのこと。しかし、得点は4対0。20点を取られることを心配していたのは僕だけではなかったようで、帰宅した息子も「20点取られるかと思ったが、たいしたことなかった」となかなか独特の喜び方で試合を表現していた。選手や応援に行った家族・友人たちは、ノーヒット・ノーランで終わったことよりも、相手が強豪校でなければ抜けたであろうヒット性の当たりを何本か飛ばせたこと、毎回のように訪れる相手のチャンスを乗り切り、コールドゲーム(5回10点差、7回7点差の場合、そこで試合が終わるルール)にもならずに9回を戦いきり、堅守で“ゼロ点に抑えた回が6回もあったこと”が誇りになったようだ。


この試合を含めて3試合を経験したベンチウォーマーの息子が試合後に語る感想がなかなか面白かった。相手があることなので、ここで具体的にご紹介できないのが残念なのだけれど、試合に勝つことに対する率直な喜びとともに語られる、相手に対する、ときに辛辣な発言が思いもよらない深い観察に裏打ちされているものだったりして驚かされるのである。とくに強豪校の様子の報告は、勝ち組有名校と無名普通校の対比という点で面白かった。同じゲームを戦っていても、微に入って観察すると高校の野球チームにはそれぞれにステレオタイプ高校野球観に収まらない多様性があるのが面白い。たかだが高校野球でも、やったことのない者には分からないことがたくさん。だから何かを一生懸命にやることには意味があるのだな。


もう一つ素朴に思ったのは、対戦相手は「敵のチーム」ではあるが、社会に出たときに出会う「敵」とは意味が全く違うものだということ。一言も声を掛け合うことなく、一試合で出会って分かれる間柄であっても、彼らは一緒にゲームを戦い、思い出を共有することになった「仲間」に違いないじゃないかと率直に感じられた。スポーツの単純さはときに救いであり、単純であるが故に人の多様さが思いがけずよく見えることがあるのがとても興味深い。