原発事故が引き起こす普遍的関心

essaさんのエントリーで、海外のメディアが一斉に柏崎原発に注目している様子を教えてもらった。

■海外メディアは柏崎原発に注目している(2004年7月19日)


さすがにessaさんの目のいきどころは違うなと感心しつつ、同時に少し以前の原発事故を思い出し、さもありなんとも思った。僕が家族とアメリカに駐在し、日本に戻ったのが1999年の8月末だったが、その直後の9月に例の茨城県東海村の臨界被爆事故が起こった。起こりえないないはずの臨界事故発生で世の中が騒然となったのは多くの国民の記憶に残るところだと思うが、このときの海外のニュースの注目はやはりすさまじかった。今回のessaさんのように数を数えていた訳ではないので、そういう印象ですという以上の話ではないのだけれど、少なくともインターネットで読める主要紙のいくつか、当時見ていたCSの海外ニュースは大きくこの事実を報道した。


アメリカのメディアの常ならざる熱心さを見て、当たり前だが彼らにとって広島・長崎の原爆はまったくの人ごとだが、原発事故はそうではないことに思い至った。40歳以下の人たちの記憶にとどまっていないかもしれないが、スリーマイル島原発事故の経験が彼らにはある。あの強烈な思い出が米国民の潜在的恐怖心を常に刺激しているのではないかと思った。原発は米国でも欧州でももちろん稼働していて、これは人ごとではないのだ。


帰国した直後のことだったので、息子の一番の友達だったハリー君のお母さんから「ニュースで見ているけれど大丈夫? 東京から○×マイルしか離れていないと聞いて、ヨコハマのあなたたちが安全なのかとてもとても心配しています」とすぐさま電子メールが飛んできたのをよく覚えている。広い米国に住んでいる人たちから見れば、茨城県東海村と横浜など隣町ぐらいの距離にしか感じられないのだ。実際に僕も、住んでいたアメリカの地図と重ね合わせて、それがいかに近い場所で起こっている事故なのかを知り、日本の小ささに恐怖したのだった。あのときも、日本の報道なんて住んでいた4年少々の間で数えるほどもなかったのにね、と家族で話していたものだ。


■スリーマイル島の原発事故(Wikipedia)