美崎薫著『デジタルカメラ2.0』を読む

美崎薫さんが4月に上梓した『デジタルカメラ2.0』(技術評論社)を読んだ。労作である。題名は今風1.0だが、およそ凡百のお手軽トレンド本とは訳が違う。


デジタルカメラ2.0

デジタルカメラ2.0


ひと言で表現すれば、デジタルカメラとデジタル写真の過去・現在・未来を語った書籍である。と言ってしまうと、またありがちな本を連想するが、美崎薫さんが何者かを知らない人が読めば、途中から「何この本?」となるだろうし、彼の業績を知っている人が読めば「出ました美崎節!」と快哉を叫ぶか、「またかよ」とうんざりするかのどちらかになるだろう。つまり、そんな本だ。


美崎さんがデジタルカメラの歴史を辿る視点を特徴づけているのは、人と道具とは相互作用を及ぼし合う存在であるという確固とした思想であり、そこを基盤として道具が何のための道具たりえているのかを問いかける姿勢である。美崎さんが語るのは、供給者の意図と、様々な偶然や利用者の欲求のありようが形作るデジタルカメラという名の用途が変遷し、多様化していく世界への旅だ。人によって進化する道具を鏡に、道具によって進化する人を映し出そうとする意欲作と言い換えてもよいだろう。


もう一つ、否応なく気づかされるのは、過去を語りながらも常に顔を出す、見えない未来を見たいという美崎さんの未来志向的な興味の存在である。その意味で、本書は他の美崎本同様、常に前向きな明るさを内包している。


本書は「序章」を除くと「デジタルカメラの遠い過去」「デジタルカメラが生み出した現在」「デジタルカメラが生み出す未来」という3章立てで構成されている。叙述の内容は章見出しが語るとおりのものだが、売り物としての書籍として見た場合、この本はマーケティング的な配慮をどこか欠いているように見える。第1章のこれまでのデジカメ商品化の歴史が異様に長いのだ。およそ270ページの本文のうち、最初の200ページが第1章に充てられており、第2章と第3章は併せて約70ページという、ページ数だけみればやけにバランスが悪い構成である。その第1章では、1982年に開発されたソニーの「マビカ」にまで遡り、今日のデジカメのコンセプトと市場を創造した「QV-10」を経て、時代は今日に至るまで、商品名入りの長い歴史が主に消費者の目線から語られる。美崎さんはこれを誰に読ませることを想定して書いたのだろうと思った。ITガジェット好き、デジカメ好きの平均的な大衆は眼中にはない。これを書かずにはいられない著者の資質に賛同できる人、どうぞ読んでください、と語っているかのよう。


個人的に懐かしかったのは、最初に語られる世界初の電子スチルカメラ「マビカ」の話。当時、僕は大学4年生で週刊誌のアルバイトをしていた。新聞発表があった翌日、報道用の写真をもらうために北品川のソニー本社に担当の課長さんを訪ねたことがあったのだ。


第2章、第3章と辿るにつれ、叙述の内容が過去の探索を離れるにつれ、本書は記録と記憶をめぐる美崎さんの思想と主張が前面に躍り出るようになる。今日はこれ以上深入りする時間的な余裕がなくなってしまったこともあり、要約のひと言でこのエントリーを終えることにしたいが、つまり本書の第3章で写真に付けるタグを論じる最後に何気ないように置かれたフレーズ、「世界は解釈を求めている」(同書p257)こそ、美崎さんの言いたいことだと僕は受け取った。


このブログで昨年秋に書いた美崎さんの「記憶する住宅」訪問記は、検索エンジンを頼りに訪れる人が未だに途切れないコンテンツになっている。美崎さんへの興味をかき立てられる人にはお勧めの一冊であることは間違いない。


■『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(1/2)(2006年11月3日)
■『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる(2/2)(2006年11月4日)