山には死の臭いが立ちこめている

おそらく敏感な臭覚を持っている人なら、容易にそれを嗅ぎ取るにちがいない。登山客が押し寄せる山には死の臭いが立ちこめている。一昨日、中高年登山者の事故に出会ったと書いた丹沢・大倉尾根は普通の登山客が日帰りで上り下りする場所で、決して危ないところではないのだが、それでも事故は起こる。一昨日出会った方も、まさか自分があんな場所で命の危険に遭遇するとは夢にも思っていなかったはずだが、体力や判断力を問われる山という空間、あるいは山登りという行為は、ときに取り返しのつかない気づきを人に与える装置になる。 僕のようにたまにしか登らない者でも事故に出会う機会は少なくないのだから、日本中の山でどれほど多くの事故が起こっているのか推して知るべしだと思う。個人的にも思い出す出来事がいくつかある。


高校2年生のときに山岳部の夏の合宿で飯豊連峰を一週間かけて歩いた。福島、山形、新潟の三県にまたがる飯豊は、標高は2千メートルちょっとと高くはないが、深く、美しい広大な山域だ。3日目だったと思うが、かなり大きな高校山岳部のパーティとすれ違った。こちらのパーティは「こんにちわー」「チワー」と気楽な挨拶をかけていくのに、相手は妙に押し黙った風である。なんだか変だなとちらと思いはしたが、理由が分かったのはその夜のラジオニュースを聞いたときだった。死人が出ていたのだ。してみると、あの大きなキスリング型ザックのなかに遺体は入れられていたのだろうと高校生だった我々は話を交わした。


沢登りに熱中していた大学生の頃、甲斐駒ヶ岳の黄蓮谷(おうれんだに)に行った。スケールの大きな谷で一生の思い出に残る体験をしたが、谷に入る前日、山中でビバークしていると夕刻ヘリコプターの音が近づいてきて、谷の方角へ向かった。やはり、その夜にラジオニュースで死者が出ていることを知った。明日登る場所で死人かよ、と思った。


その黄蓮谷、グーグルで検索するといくつも山行記録が見つかった。トップで出てきたこちらは敗退の記録だが、写真がたくさんある。20年前には黄蓮谷の写真などどこにもなかったことを考えると、あらためてインターネット普及の恩恵を感じる。写真や記録によって、未知の場所に挑む気概や高揚感は減少するが、予見が与えられることによって事故も減るはずだ。もうお一方の記録には、やはりヘリコプターで救助された遭難事故の話が書いてある。我が身を振り返ると、よくこんなところを重いザイルを担いで登ったものだと思う。

http://www3.wind.ne.jp/TITWVOB/wv/archives/2005/05ouren/

http://blog.livedoor.jp/castaway/archives/50078346.html


中には原因不明で一度に数人が死んでいたという怪談めいた事例に遭遇しかけたことがある。この話は昨年の秋にこのブログで紹介した。誰かあの話の後日譚を知っている人はいないだろうか。

■揃えられていたサンダルと登山靴(2006年11月8日)


自分が高校山岳部に入る前の話だが、部の数年先輩にも冬の北アルプスで行方不明になったまま帰ってこなかった方がいる。遺体が出てこなかったので、当時「山でAさんが歩いているのを見た」といった怪談めいた話がささやかれたりしていた。そのAさんは克明な登山日誌を残していて、部室でその古い大学ノートを繰っていると、彼が山に賭けていたロマンチックな情熱が痛いように伝わってきて、まるで面識がないのに切なさと息苦しさに襲われたものだ。


自分自身に関しては幸いなことに大きな怪我もせずにこれたが、上越の沢を歩いているときに怖い思いをしたことはある。多雪地帯の上越山中では7月の沢筋に大量の雪が残っている。ところどころに固まった雪が雪渓となって沢の上にかかっており、その上を行くのか、下、つまり氷の天井を仰ぎ見ながら沢の中を歩くのかを決断しなければならないことがある。たくさん残っていれば何の問題もないが、夏の盛りで雪が痩せてくると崩落の危険が生じる。大きな雪の下は、数メートル上の薄暗い氷の天井から冷たい水がぽたりぽたりと垂れている。ある時、そんな氷の下をくぐり抜けたら、その直後にどーんと谷間にこだます大音量を残して雪の橋が決壊した。心底びびった。一歩間違えれば命にかかわる事故になっていたはずだ。


人間、こんなに呆気なく死ぬものなんだ、実は壊れ物なんだと、そこはかとない無常観に直面するのが山登り。山は危ない。お登りになる方、お互い気をつけましょう。