桜とデジタルカメラ

明日は土曜日。桜は満開。よし、花を撮りに行くぞ、と勇んでいたのに前日帰宅すると曇りから雨になるという天気予報のご神託じゃないか。曇りの日によい写真を撮る腕はないが、雨でもない限り家の中にたれこめるのもいやだ。思い切って三渓園に行ってみた。桜はいっぱいあるはずだし、どこかで陽が差さないとも限らない。

■三渓園ホームページ


行ってみて驚いた。デジカメを持ったおじさん、おばさんの数に。桜の名所に満開の時期に行くなどという行いをしたことがなかったので、とぎれずに三渓園を目指す人の数にまず呆れた。思わず入り口でやっぱり入るのは止めようかなと思ったほどだ。そもそも人混みが嫌いな質なのである。

入ってみて本当にびっくりした。一眼レフを抱えた中年だらけだ。三脚を立てている人、いない人。皆、立派なカメラを持っている。興味が湧いてちらちらと覗きながら歩くと、最新のニコンの機種を持っている人が目立つ。さすがニコンというべきか。

あっ、いい景色だ、と思うと二人、三人が重なるようにカメラを構えている。どこに行ってもそうなのだから、あっという間にシャッターを押す意欲は失せる。モデルの撮影会に人がたかっているのと同じで、これを撮りなさいと差し出されたものをみんなで撮るなんて、カメラの品質競争をしている以上の意味があるとは思えない。ともかく、(現実にはそんな風には決していかないのは知っているが、)人が撮らない画を撮るという気持ちだけはないとモーチベーションは働かないじゃないか。

数枚撮って、「つまんねえ写真だなあ」と思いながら撮ったファイルを確かめていたら、ふいに横で大きな声がして「そこは池の向こう側から撮る人が写す場所だから、早くどいてあげて確認は別のところでした方がいいですよ」とニコンを抱えたおっさんに注意される。「あっ、どうもすみません」と驚いて頭を下げ、そのとたんに、なんでこんなところでそんなアホな忠告をされなければならないんだと馬鹿らしくなってくる。面白い写真を撮ろうと思ったら写真を撮っている人を撮るしかないと思ったが、ユーモラスな写真を撮れるような気分でもない。500円の入園料を支払って入ったが、早々に退却を決め込んだ。出る直前に陽が差してくれて撮った写真は、「写真帳」に掲載させていただいたので、よろしければご笑覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/taknakayama/e/c20b27a5f50921cfb744816bf5173d61


うようよ湧いていた一眼レフおじさん(僕もその一人というわけだ)と一眼レフおばさん。これに一眼レフ青年と一眼レフ派の何倍もいたコンパクトデジカメを構えていた方たち、さらに携帯でパチリと撮影していた人たちを合わせると、いったい何台のカメラがあの大して広いとも言えない場所を徘徊し、いったい何枚の三渓園の桜の写真が今日、この日本で制作されたのだろうか。カメラ人口の増大というトレンドは理屈では理解しているつもりだったが、今日、実際にこの目でそれを映像として確かめた僕は、正直なところ圧倒された。ありとあらゆる人たちが、考えられうる限りのタイプのカメラを使って撮影をしている。その画像は今頃パソコンや携帯電話のハードディスクに蓄えられ、自己愛の対象と化しているだろうし、その多くがブログで発表され、ネットを経由して友人に送られているだろう。皆、僕と同じで、フィルムの時代にはそんなにおいそれとは高額なフィルムを浪費できることなどできなかった庶民が大半なはずだ。デジタル化したカメラは、その人たちに今までになかった気楽さで写真を撮る自由を与え、膨大な数の写真が生み出されている。

それにしては、画像を扱うネット上のサービスはあまり本気で用意されている感じはしない。ポータル事業者やブログ業者の提供しているサービスにはそれなりのものはあるが、本当に写真を撮る趣味を持っている者の気持ちに寄り添っているのはあるだろうかと考えると、まだやることはたくさんありそう。ネットの事業者にとって、この分野はもっとまじめに掘ってみる価値があるはずだ。