大企業に勤める

今日は別のことを書こうと思ってパソコンを開いたのだが、梅田望夫さんの一文がとても面白かったので、その尻馬に乗ってしまうことにする。

■「好きを貫く」ことと大企業への就職


私事を書かせていただくと、僕の場合は「人と一緒に」が嫌いな質なもので大企業への就職はこれっぽっちも考えなかった。かなり変わり者に見られたし、実際変わり者だった。先輩、そのまた先輩と、そのまたまた先輩がうじゃうじゃとヒエラルキーを作っているなかで生きていくなどということは恐ろしくて恐ろしくて考えてみるだけで総毛立った。今思えば、誘ってもらったいくつかの雑誌屋さんにおとなしく入っておけば、けっこう「好き」を貫けたかもしれなかったが、その耐性もない精神的虚弱体質だった。

そこで、短期間のフリーターを経て誰も見向きもしないような財団法人に入ったのだが、かえって小さい組織の方が先輩面する奴らの影響力が大きく居心地が悪いことを身をもって知り、その団体を1年で辞めて、とある調査研究機関に拾ってもらい17年間を勤めた。100人を少し下回るぐらいの規模の会社で、基本的に一人、ないし二、三人で仕事をする環境があり、その居心地の良さだけで長居をさせていただいた格好である。ほんとなら、もっといてもよかったのに、ひょんなことから辞めてしまったが。その経験で語れば、数十人規模で、それなりに一人ひとりがリソースとしての影響力を行使でき、かつ個人の義務と責任で仕事が動くような組織は働きやすいと今でも思う。

今雇ってもらっている組織は典型的な大企業で、大企業などまったく視野になかった人間が四十歳をとうに過ぎてからそんなところで勤めを始めたのはとても滑稽だと思う。もっとも、ある時、ITジャーナリストの小池良次さんにそんなことをしゃべったら、「中山さん、百人の会社なんて十分大企業だよー」と笑われてしまったが。

身一つ、独立独歩で生計を立てているジャーナリストの方にとってみればそうかもしれないが、やっぱり大企業と中小企業は実感としてかなり違う。大企業の人材の厚み、ノウハウの蓄積はすごいものがある。ぜんぜんすごくない奴もたくさんいるが、それと釣り合うぐらい、この人は頭がいい、切れるという人がかなりの数いて、この人たちの多くが梅田さんが書いているとおり、周囲のなかで自分の役回りをきちんと認識して立ち振る舞うことができる人間的に大人の体質なのだから強い。その空間は思いの外対人間的な面で柔らかい部分もあり、社長なり部門長なりを頂点とする家父長的大家族制度といった趣がある。僕は若い頃から大企業という言葉にネガティブなイメージを重ね合わせてきたから、「けっこういいとこじゃん」と意外に思う。ワンマンなトップに振り回される中小企業よりも居心地がいいというケースはむしろ多いだろう。もっとも自分が二十代からここにいることができたかと想像してみると、百二十パーセントそれはないとも思うが。それはどうして?と、本来はここからが面白いのだが、今日はここでやめておく。このブログは会社と仕事のことは書かないのが自分に課した原則なので、今日はそもそもちょっと反則気味なのだ。

ともかく向き不向きは大きい。たとえば、うちの大学二年生を筆頭にした子供たちを考えると、長男はそれなりに大企業の勤めにも耐えるだろう。こやつは今体育会所属。二人目は根性があるからやらなければならないとなればきっちりやるが、まったくもって企業向きではない。三人目はまったく向かない、できない。人間向いている仕事がある。今の時代、子供たちには好きなことが見えにくくなっている面なきにしもあらずだと思うが、親としてみると少なくとも向かない方面の仕事に就くことのないよう舵取りをしてあげることが最低限の務めだろうなとは思っている。その先で自分の「好き」を自分の努力で見つけてくれれば言うことない。