気持ちいいアメリカ

勢川びきさんの『気持ちいいアメリカ』を読んで、思わずお星様をつけるマウスの一押しに力がこもってしまったような気がする。ここ一ヶ月、社内で数字作りに励むと同時に、営業に歩き回る日々を東京で続けていると、ときどきアメリカやドイツのことや、そこにいた自分の姿が頭の中で明滅する。

勢川さんが書いていらっしゃるとおり、アメリカではものが壊れたり、運用がドジだったりすることはしばしばで、そんな点では東京生活のようなオートマティックな快適さはまるでない。マイノリティで、英語も下手な外国人になって暮らすと、それ相応に不愉快なことも経験したりする。それでもアメリカは「気持ちいい」。その言葉に敏感に反応して、あんなにのびのびと毎日を送っていた時期は、僕の半生の中では少なくとも他にはなかったなとあらためて振り返らざるを得ない。

四年数ヶ月の米国駐在が終わることになり日本に帰ることを告げた際に、長男と大の仲良しだったハリーのお母さんで、うちの女房とこれも大の仲良しだったキャシーさんから「日本に帰るのは嬉しい? 日本とここの生活とどちらがいい?」と尋ねられた。口ごもりながら、正直に「そうでもない。あまり帰りたくない」と答えたのだと思う。キャシーさんは「やはり昔日本から来て知っていたビジネスマンの××に同じことを聞いたら、同じ答えが返ってきた。私は日本に行ったことがないので、どんな国か知らないし、比べることはできないけれど、それなりの理由があるのでしょうね」と、ちょっと困ったような表情を浮かべながら、その聡明さと思いやりが明らかな答え方を返してくれたと覚えている。

帰国してからの“逆カルチャーショック”は、自分がキャシーさんと話をしたときの想像を超えていた。それは白状しなければならない。これはおそらく僕に特有のことではなくて、アメリカを知った日本人が過去何十年もの間体験してきた、一般には語られることは少ないが、ある種のオーソドックスな反応なのではないかと思う。

東京で地下鉄を乗り継ぎながら歩き回り、お客さんに頭を下げ、パートナー企業の方に頭を下げられ、といったことをしている最中にそんな昔話を思い出すことは少ないけれど、ないわけではない。というのは、大嘘で、毎日、頭のどこかにアメリカやドイツのことを反芻している自分がいる。