組織のぬるさと人の幸せについて

勢川びきさんの漫画に登場したUさんが、その中でにこにこと「大企業って、ぬるいんだよね」と語っている。この日のタイトルは、その名も「ぬるい?」。


■ぬるい?(『勢川びきのX記:4コマブログ』(2008年1月22日)


お二人の会話がどのような主題をめぐって、どのように展開する中で発せられたひと言なのか、これを書いているいま知る由もないが、僕なりに自分自身の体験に照らして「企業はぬるい」という言葉に反応してしまう部分が間違いなくなる。

というのも僕は過去数年、大きな会社のスタッフ部門で仕事をさせてもらい、とてもいい経験をしたが、ある一面ではそのぬるさ加減に辟易するところがないではなかったから。こんな書き方をすると、そのとたんに「お前はそんなことが言える立派な人間か」ともう一人の自分が批判しにかかるし、その批判に面と向かって堂々と再度反論を返す気構えがあるかと言えば、「おっしゃるとおり、わたし自身がぬるい人間です」と頭を下げるしかないのだけれど、それはいまは置いておくことにしよう。

ぬるい部分があるのは大きい企業だけでなく、いま僕がいる数十人規模の企業でも同じ。急に異なる業界に足を踏み入れたら、そのとたんに売上目標を突き付けられ、心の中でたじたじとなっているのだが(表向きは「やる気が湧いてくる」と言ってはいますが)、それでも、自分の心の中にも、またここと指摘するのは難しくても何人かの社員の言葉の端々にも、ほんとうに突き詰めてそのノルマを考えているわけではないと思われる部分がある。僕の脳みそが勢川さんの漫画の「ぬるい」という言葉に反応して考えたのは、そんな部分だ。

自分に対する責任感なのか、あるいはよい意味での義務感と呼ぶのか、むしろそれらの大元にある感情のあり方の問題かもしれないが、「これをやらねば自分は生きていけない」という切迫感(あるいは喜びの感情)と日常とがどれぐらいつながっているのかがそこでは問われているのだと思う。企業だけではなく、あらゆる組織に言えることがと思うが、その組織のヴィジョンや目標と成員の心がその切迫感でつながっていれば、組織は強さを発揮するだろう。でも、通常、そうは問屋がおろさない。

一方で、仮に僕が大きな企業のよいところは何だと思うかと尋ねられたとしたら、僕はこの「ぬるさ」の存在にあるとも答えるだろう。本来、人間はひとそれぞれで、ひとつの目標に向かって全身全霊をかけて戦うことに生き甲斐を見出す人がいれば、日々の生活の合間にブログを書くことに喜びを見出す人もいる。成長している大きな企業で、年配の人、若い人を問わず、多くの同僚社員たちから「厳しい」「たいへん」という言葉を聞いたものだが、そんな不平居士ほどそれなりにみな会社との隙間を持って、けっこう幸せそうな人生を送っているように感じていた。実際、大きな企業には、福利厚生などを含めてみると、さまざまなメリットを従業員に提供していて、それを知ったうえで若いやつがあれこれ文句を言うのをあらためて聞くと、思わずむきになって反論したくなるのだった。それはさておき、そうした様々な人々の生存を保障するという意味で、大きな組織の持っている社会的機能の重要さには看過できないものがある。

というわけで、このぬるさ加減をどう読むかで、その人の人生観が見えてくるなあと思った次第。ぬるい人間の小さな感想である。