一眼レフだったら

白馬岳に登る際、一眼レフを携えての登山は諦めた。テントを加えたザックは16キロ強。かつて、20代の頃ならば、これしきの重さは「ほとんど空身」と思ったことだろう。実際、かつては20キロ以下の荷物で幕営山行などしたことはない。しかし、わたくしはもう20代ではない。肩にかかる重力はほとんど限界である。さらに2キロ近くにもなるズームレンズ付きの一眼レフをここに上乗せしようものなら、ユンケル黄帝液を飲もうが、リゲインを飲もうが、最初の3時間のうちにバテてしまうに違いない。それに、ザックは、あれこれの荷物で、大きい一番レフを入れるスペースなど、もうどこにもないほどふくらんでいる。

そこで息子のキャノン製コンパクトデジカメを借りていくことにした。使ってあらためて思ったのは、キャノンの露出の素晴らしさについてである。白飛びするのが嫌だからと、ほとんどすべての写真を-1/3か、-2/3の露出で撮ったが、結局帰宅してパソコン上で処理をする際には、ほとんど+1/3か、+2/3 分の補正をすることになった。カメラの露出は僕の感覚とほとんど合致していたのだ。大したものだと思う。

使ったのはIXY DIGITAL 510 IS。腰にぶら下げ、ひょいと構えて、ひょいと撮る。ブログで見ていただく写真を撮るぐらいは、この程度のカメラで十分ということは、今回使ってみてよく分かった。一眼レフだって、僕のように安物のレンズを付けてりゃそれなりの画像しか得られないし、実際にはレンズの実力が分かるような大判のプリントに焼くこともない。常日頃、重くてかさばるカメラを持ってなにやってんだかと思う。


と言いながら、ほんというと「これが一眼だったら、もっとキメの細かい写真になったんじゃないか」、「雲の白にもう少し本来の陰影がでるんじゃないか」などとくらーく、真剣に考えたりしているのである。次は一眼をどうにかして持って行こうなどと考えたりするのである。たかが素人のお遊び写真なのだが、そこにきちんと欲望はうずく。この思いは死ぬまで飼い慣らせない? そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。将来のことは、結局一寸先ですらよく分からない。