宮崎のおっちゃんの言うことはきらいじゃない

宮崎駿さんのことですけど。

他人の受け売りですが、おっちゃんは、養老孟司さんとの対談で、「情報とかインターネットっていうのは、基本的に相手を操作しようとする願望じゃないかと思うんです。相手に自分の影響力を与えたいということなのではないか。」と語っているそうな。

■「虫眼とアニ眼」から(『勇気と想像力、そして少々のお金』2010年8月18日)


また、これも最近ネット上で大いに話題になっていたが、iPad特集を組んだジブリのPR紙上で、機器を操作して見せたインタビュアーに対し、嫌悪感をあからさまに表現してもいるらしい。

■Slashdotの記事より


日本のクリエイティブの世界に君臨する、と言ったら大袈裟に過ぎるのかもしれず、それこそそういう物言いをすればご本人は怒りそうだが、ともあれそういう宮崎さんが語ったから話題にもなる。でも、これ、新しいものに理解を示したがらない偏屈なおやじの率直な感慨じゃないか。昔気質の職人の親方の。こういう偏屈さには個人的にとてもなつかしいものを感じる。一昨年死んだ親父が、根っからそういう類の人間だったから。

戦中派の親父の、戦後の事物や政治動向に関する内心の吐露に対し、子供の頃には、とても嫌な気分になり、直接言葉で強く反発も示したけれど、今は、もっと率直に言わせてあげればよかったなとも思う。

その頃の僕には分からなかったわけだが、そこで主張が向いている対象(宮崎さんのケースでは「情報とかインターネット」や「iPad」)の是非を云々することよりも、なぜそのように考えたり、感じたりするのか、その人の人生にそれらの言葉を生み出すに至る何があったのかについて教えてもらったり、議論したり、想像をしてみることに意味があったのだ。そう今になって思う。何がよい、何が悪い、という感想それ自体は争いようがない。ウナギが好きか、イクラが好きかという感想自体も争いようがない。極端な物言いだけれども。

これは典型的に「後悔先に立たず」の類の感想である。