「本=編集」と「ブログ=非編集」の距離

三上さんがたいへん興味深い問題提起をしてくれました。以下に引用します。

出版ビジネスに関わる人たちの側から、本とウェブを区別した水準で、ウェブを手段にして、本を売るのが目的というありふれた構図、手法ではなく、本を本のままに、しかもブログに面白くつなげるという本とブログの関係を一段深めた水準で色々とビジネスのアイデアが出てくれば、愉快だろうなあ、と思っています。あまり期待はしていませんが。
(『MIK』2009年8月29日)

書籍の中には、その内容に関連するアクチャルな情報や補足情報をWebサイトで提供するスタイルでWebとの連携を行っている例は少なからずあります。「このURLを参照してください」と本の中に書くことによって。しかし、三上さんがそういうものが出てくれば面白いと語っているブログとの連携になると、これはその段階をもう一段深める種類の取り組みです。三上さんが示唆しているのは「本の宣伝をブログでする」類のありふれた話ではないでしょうから、ものすごくチャレンジングになってきます。

どこがチャレンジングかというと、要は“則を超える”部分があるからです。現在の書籍ビジネスではコンテンツは供給者が企画し、編集作業を通じて製造されたものを責任をもって提供するというスタイルによって市場に送り出されています。ここでは企画から割り付けやデザインに至る広い意味での「編集」が付加価値の源泉であり、それによって責任の所在を示しており、本にとって編集という行為はその概念上切っても切れないものではないかと考えます。

これに対してブログは「個人の編集されていない意見」を発信することに本質的な価値があります。この「個人の編集されていない意見」というのは、XMLの発明者であり、ブログの発展に大きな貢献をしたデイブ・ワイナーの言葉で、ブログがここまで発展した理由を彼の一言は如実に示していると思います。

編集によって豊かなコンテンツを創造しようという本の世界、著者の生の声を尊重することにより、編集が殺したり、見逃したりする価値を世の中に発信する可能性を持つブログの世界。それぞれがそれぞれのよさをもった世界であり、同時に「同じ文字による情報発信だ」と見える両者の間には、大きな距離があります。

一方、ジャーナリズムに関するかぎり、ワイナーは早い時期から「自分だったら、記者全員にブログを持たせ、書かせる」と言っていて、それはそれほどドラスチックなかたちではなくても、ある程度以上は現実となって動きはじめています。日本に比べると、アメリカはその傾向はより顕著です。

いま出版は過当競争の業界で、典型的な成熟産業であることは間違いありません。その状態を好転させようと、さまざまな試みが模索されていますが、三上さんのコメントがチャレンジ精神に溢れた若い出版人の誰かに届くとうれしいですね。その可能性が開かれているのが、まさにブログの素晴らしさなのですから。