開高健の釣りものでは『フィッシュ・オン』が最高という話

秋口にNHKBS放送で「シリーズ釣って、食べて、生きた! 作家開高健の世界」と銘打たれたノンフィクション番組をやっていた。開高健の釣行に同行した人々を取材し、当時の映像を織り込みながらかつての大兄を振り返るという趣旨の番組だった。

この冒頭で、「人々がバブルに浮かれている頃に、そのトレンドに背を向けて原野に向かった男がいた」という趣旨のナレーションが入って、それに大いに違和感を感じたという話を忘れないうちにメモしておくという、これはそうした趣旨の開高フェチ文章である。

開高センセの釣魚モノはいまや自然を扱ったノンフィクションの古典と言ってもいいぐらいの地位を獲得し、未だにファンを自称する人々も少なくないのは周知の通り。私もその砂の真砂の端くれに数えてもらってよい。

だけれども、それらの紀行文をほとんどすべて読みながら、それらの中に本当の開高健が表現されているとは言えない、本当に読みたい開高健はこれではないと思い続けてきたことも間違いないのである。彼が存命で、一生懸命に海外に出かけていた時分、私はまだ二十代前半という頃からそう思っていた。

集英社だの、サントリーだのから取材費を巻きあげての大物量作戦の旅は、それ自体がバブルにほかならず、どんなに野生の世界で虫に刺されながらの苦労の旅であっても、その結果生み出される文章に惚れ惚れし続けたことを否定しないにしても、どこか「違う」と思わざるをえないものがあった。空虚を埋めるための旅は、当然のように満たされない。そこで旅は何度も繰り返される。何度も繰り返された釣紀行については、もしかしたら周囲からの期待・要望のほうが大きかったというような要素があるのかもしれないが、開高のフィクションのファンに彼の釣りの旅はそんな風に見えてしまうところがあった。

簡単にいえば、都会人が山登りをしたがるのと一緒、堀辰雄が軽井沢に憧れるのと一緒で、バブルの野生の旅は、成立した途端に成立の意味を詮索されるという点で純粋からは遠く離れた行いである。

開高さんの釣り紀行として最も優れていると感じられるのが『フィッシュ・オン』であると僕が感じるのは、つまりそういう理由からだ。開高さんにとっての最初の釣りの本は、その後の大物量バブルフィッシングに比べれば実にささやかな釣りの話で構成されている。しかし、そこには純粋さの気配が充満しているという意味で、開高さんと等身大の旅の気分がそよいでいるという意味で、最高の一冊ではないかと思う。

やはり今年読んだ開高さんの元編集者である細川布久子さんの『わたしの開高健』にこんな一節があった。フランス留学した細川さんが、取材のためにパリにやってきた開高さんと久々に対面した場面である。

ちょうどその年、新潮文庫からロナルド・サールの『ワイン手帖』が出ており、それは開高健監修とあったので、ついこの本に触れたところ、
「ああいうもんで、私の仕事を語られると困るんでねぇ」
とぼやくような返事。
一瞬私は戸惑いを覚えた。これまで感じたことのない尊大さに触れたような気がした。けれどもよくよく考えてみれば、これは融通の利かない私に対する反応だったのである。かつての編集者としては、『玉、砕ける』がホルト・ラインバート社が出版するアメリカの大学生が文学部の教科書として読む本の中に、全東洋から唯一の作品として選ばれたことを話題にすべきだったのだ。たとえ、手紙で知らされていたことでも、あらためて心からの賛辞を述べるべきだったのだ。手紙には開高さんの喜びがあふれていたではないか。

こういうことをよく覚えていて、さらりと文章にするから女性は怖い、と他人ごとながら思ってしまうが、この本の中でもっとも印象に残った逸話の一つでもある。開高さんが亡くなった直後の対談で大江健三郎さんが石原慎太郎さんに向かって「開高さんは自分こそが三島の次ぎに来る小説家だと考えてたと思う」と語って石原の同意を得ていたのを即座に思い出した。細川さんの観察も、大江・石原の見立ても同じことを語っている。おおらかさと豪放さを全面に出した釣りのフィクションは、多分にこうした開高さんの弱さや繊細さの裏返しとして存在している。だから、一介の読者であれ、「開高さんの最良の作品は釣紀行にはありません」と言う人間がいることは、開高さんにとっての供養となり続けるのではないか。

年末の時間に急にこんなことを書いてみたくなった。


フィッシュ・オン (新潮文庫)

フィッシュ・オン (新潮文庫)