夏の首都

 夏が来ると人々は誰もができうるかぎりニューヨークから出て行く。自然の中に出かけないにしても、どこか海岸に行く。でも私には海辺は堪えられない。そこにはけばけばしい色のショートパンツをはいた半裸の人々が闊歩し、私の目を害する。人々は砂に埋もれ、腹を出し、膝を曲げている。海辺は、私からすれば、醜い肉体の見本を陳列しているギャラリーだ。

 それで、海辺の代わりに、私はニューヨークの街を歩く。みんな海岸に出かけ、ガランとしてひと気がない。歩いているのは私ひとりと言ってよい。日が照り、車も少なく、悪臭も立たない。海や海岸を見たくなったら、メトロポリタン美術館に立ち寄り、スーラやモネの絵の傍らに佇み、わが目を慰める。
(ジョナス・メカス『どこにもないところからの手紙』から(『三上のブログ』2007年8月6日))


三上のブログで紹介されていたジョナス・メカスの言葉を読んで、その瞬間に開高健の『夏の闇』の冒頭に心が飛んだ。

その頃も旅をしていた。
ある国をでて、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた。季節はちょうど夏の入り口で、大半の住民がすでに休暇のために南へいき、都は広大な墓地か空谷にそっくりのからっぽさだった。毎日、朝から雨が降り、古綿のような空がひくくたれさがり、熱や輝きはどこにもない。夏はひどい下痢を起こし、どこもかしこもただ冷たくて、じとじととし、薄暗かった。膿んだり、分泌したり、醗酵したりするものは何もなかった。それが私には好ましかった。
開高健『夏の闇』)


人それぞれに、どのような手練手管を労しても他人には伝えられない類の、一期一会の感動の記憶がある。上記の夏の闇の冒頭は僕にとってそうした類の体験だった。そのとき、自分が読みたかったのは、この文章だと思った。
ちなみに上記開高の文章に出てくる“首府”はパリを、“学生町”とはカルチェ・ラタンを指している。『夏の闇』はパリとボン、ベルリンを舞台にした開高文学の傑作である。


明日の東京を歩いているのは何人だろう。半日休みを取って汗を流しながらそぞろ歩いてみようか。