写真を撮る

今朝、5時半に目が覚めたので、よし、と思い立ち、港まで写真を撮りに行ってきた。今日の横浜は最高気温が35度を超えたらしいが、その時間帯から太陽と湿気にあてられて楽ではなかった。空気は高い湿度を帯び、世界はすべてが薄い水の膜に覆われてるように見えた。


一枚の写真を撮るたびにほとんど無意識に近いところで自分自身が語るのが聞こえる。

我々は、このように人生を選び取っているのだ。

写真の醍醐味は、いやそれは僕自身にとっての醍醐味はと言い直すべきだとは思うが、自分の目の前を通り過ぎようとする映像を永遠の瞬間として定着させる行いにある。それは技巧的には光の加減を選ぶ露光の技であり、現実を縦横の有限の枠に収めるフレーミングの技ということになる。その瞬間に心によぎる思いの丈にはプロもアマチュアもないと信じたい。出来上がる画は、無論のことプロとアマでは雲泥の差なのだけれど。


不可逆的な時の進行に逆らうように、ある偶然の場所と時間をフレームの中に収める写真という行為。忘却の方に沈んでゆくはずだった網膜上の画像を今に定着する行為。そこにあるのは過去の残像か、写真という名の現在か。


今日は「開港広場」の片隅にある人工の池を撮った。

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