ここ以外の場所なら

今朝、くまさんの茅ヶ崎行のエントリーを読んだとたん、開高健記念館に行きたくなった。幸い今日は日曜日。こういうのは思い立ったが潮時である。横浜の我が家から自転車をこいで1時間と少々、茅ヶ崎の海岸線にほど近い閑静な住宅街の只中に佇む開高健の終の棲家まで一汗をかいた。数年ぶりの再訪だ。

小さい施設なので、一度行ってしまえばそこに何があるのかは分かっている。知識を得るための訪問でも、驚きを得るための訪問でもない。強いて言えば、今日の心のありようは開高さんの言葉のある場所に佇むのがふさわしいと感じられたということか。

最初に訪れたのは、週末ではあったがしとしとと雨が降る一日で、そのせいか訪れる人は少なかった。ところが今日は春の陽光が降り注ぐ一日、中高年を中心とした来訪者がひっきりなしにある。いまだに開高さんは多くの人々に慕われているのだ。




元は居間だった吹き抜けの天井を持つメインの展示室に小さなテレビがおいてあり、NHKで放映された短いインタビュー番組が再生されていた。思わず3回見た。51歳当時の開高が、まさにいま僕がいる自宅でNHKの斉藤アナウンサーからインタビューを受けている様子が、まるで昨日のことであるかのように生々しく映し出されていた。

開高は赤ワインを大きな寸胴グラスになみなみと注ぎ、それを啜りながら、おしゃべりをしていた。永遠の時間のなかに開高はいた。

ベトナムのルポのことを聞かれ、釣行の話をしたのち、アナウンサーはなぜと訊いたのか、これからどこへと訊いたのだったか。「ボードレールの言葉で言えば“ここ以外の場所へならどこへでも”」とテレビのなかの開高は言った。

めくるめく感覚に襲われた。10代の自分も、20歳代の自分も、心は意味づけできない焦燥感とともに「ここ以外の場所へならどこへでも」だった。開高健の文学は、そうした心のありようと純粋に共鳴した。そして、今に至ってすら「ここ以外の場所へならどこへでも」という気持ちから逃れられず、居場所を変えるたびに「ここ以外の場所へならどこへでも」と呟く自分に向かって、51歳の開高が語りかけた。
「ここ以外の場所へならどこへでも」