無駄遣い

「またくだらないことにお金を使って」と言い放つ家人の語気と視線に耐えながら、当の対象物が新聞紙上で紹介されたその週末に茅ヶ崎開高健記念館に自転車で出かけて無駄遣いをしてきた。買ったものはこれ。



■『夏の闇』自筆原稿を完全再現!最高傑作が作家自身の筆遣いで読める、特別限定愛蔵版が完成


若い頃、吸い付けられるように読み、繰り返し読み、人生を誤る原因となった大きな因子の一つは開高健の『夏の闇』だった。初めて開高健記念館を訪れた数年前、展示してあったこの作品の生原稿の第一枚目に目が吸い付けられ、長い時間離れられなくなった。その原稿が、コピーになって販売されると朝日の新聞記事で読み、矢も盾もたまらず、すぐさま記念館に電話をして在庫を確認した。物入りで支出がかさんだ時期だっただけに、たかが原稿に1万5千円を支払うことに対して一方では大きな自己規制が働いたのも事実ながら、最後にはこれを入手することはわたくしの義務である、売り切れたら一生後悔すると自分自身に言い聞かせて無理矢理に自転車を漕いだ。
なんと商品は重さ5キロ以上もあって、大仰な箱に入っていた。デイパックの背中は十分に重たかったが、「一生の買い物、これぐらい重くなくてなんとする」とまた自分自身に言い聞かせ、1時間の道のりをせっせとかついで帰った。

以上は燦々と太陽が降り注いでいた2月半ばの日曜日の話である。「無駄遣いには違いないけど、これ欲しい」と思う気持ちと、無理をしてその買い物をしてしまった時のスリルの感覚は普遍的なものだと思うので、“紙の原稿”をお読みになる方それぞれに適合する物品にすり替えていただければ、やさしく笑っていただける話題ではないかと思う。あのスリルには、一つには他の可能性を相殺してしまうことに対する恐れ、つまり自分の未来との関係にまつわる問題があり、もう一方では生計を一にする者との関係性の問題にあるのではないか。ともかくも、それ以来、まだ一度も現物を開いていない。持って帰った紙袋を、そのまま押し入れの中に入れてしまった。恐れ多くて開けないというのはまあ冗談で、「集中できるときに気合いを入れて見よう」というつもりなのではあるが、ある意味では自分にとって御神体のようなものかなとも思う。「持っていることが嬉しい」という点にかけては、オーディオやカメラ、iPhoneといった実用性の高い商品の類とは比べものにならない。それぐらい無駄遣い度が高い買い物だと言えそうである。

開高健記念館ホームページの記事を読むと、最近ジュンク堂や、三省堂や、紀伊国屋でも販売しはじめたようである。当初はなかった追加情報だ。予定部数はまだまだはけていないのだ。未だにファンが少なくない作家とはいえ、重さ5キロの原稿の束を1万5千円を出して買う物好きは数限りがあるということのようだ。