年齢のこと

高校一年生の末の息子が「50歳なんて、もう半分死んでるとしか思えねー」などとお馬鹿丸出しで嬉しそうに言うのを聞いていて、高校生から見ればたしかにそうだろうなとは思う。ときどきテレビニュースを見ていて、「どこどこのなんとかさん45歳が食中毒で入院しました」なんて話がアナウンサーの口から流れるときに、「45歳というのは僕よりも年下なんだ」ということをいちいち意識しないと、自分よりも高齢の人の話だと一瞬勘違いしそうになることがある。つまり、僕自身、息子と同様、わかりやすく言うと「40歳から向こうは自分には想像もつかない高齢者層の皆様」という子供の頃に思い描いていた世界観をいまだに携えているということなのだと思う。このことはとても面白い。

先日のエントリーのなかで、僕自身は職業人としては終わっているといったフレーズを書いたばかり。ただ、客観視するとそうとしかいえないのに、本人は世間が見ているであろう自分を姿すっかり忘れちゃってるところがあるわけだ。体力が落ちているだとか、物覚えが悪くなってきたことを突きつけられるタイミングで、生物としてそういう年齢をしっかりと迎えていることを意識はさせられるのもまた事実なのだが、案外人間思ったよりも年をとらない部分があるんだな、という思いは自分がそうなってきはじめて初めて発見できること。これは生きる糧をはぐくむことにも、自分がかつて持っていたものとのギャップに悩むことにも、双方に通じている。だから、それまで首尾よく生きているとしてだが、サラリーマンを定年退職する60歳以降、体力がさらに落ちてくる70歳以降を如何に生きるかはもっとも大切なテーマである。若い時なんて何やったって腹の底に常に眠っている元気が支えてくれるんだから、ぜんぜんOKというもんだ。

小澤征爾大江健三郎の対談本である『同じ年に生まれて』を読んで、中高年という言葉によって喚起される通念から無縁の語りにある種の感銘を受けた。やりとりされるトピックや理念はご両人の話を聞いたり読んだりしている人にとってものすごく面白いかと言えば、またあの話ね、という部分が多いし、言葉の人である大江さんとしゃべるのはうまいとはいえない小澤さんのミスマッチもあって、対談としてよくできている本ではない。それなのに、対談当時60代半ばだった二人の「気」に感じ入るものが大きいのは、僕自身がそういうものに反応できる年齢に達したからだろう。要は、「もういいや、人生こんなもんで」という気持ちと「人生これから」という気持ちが同居し、せめぎ合ったりする年齢とでもいうか。