『ナクソス・ミュージック・ライブラリー』のどこがすごいか

クラシック音楽のストリーミングサービス、『ナクソス・ミュージック・ライブラリー』がいいと書いたが、もちろん「pro」の部分ばかりでなく「con」もある。
機能的に不足しているのは『ギャップレス再生」に対応していない点で、トラックごとに間合いが入ってしまう。オペラやリヒャルト・シュトラウス交響詩などを聴こうとすると、楽曲の途中でプチッと切れ目が入ってしまい興醒めこのうえない。現時点ではワーグナーの『パルジファル』を『ナクソス・ミュージック・ライブラリー』で聴きましょうとはなかなかいかない。今の時点での大きな弱点で、将来の改善を待ちたいところ。

また、1万点のCDが聴けると言っても、わずか1万点という言い方もできるわけで、品揃えには隙間がたくさんある。演奏家にこだわってラインナップを見ると、代表的な名盤がかなり入っている人があれば、そもそも数がほとんどない人もおり、その差は大きい。例えばスビン・メータの録音なんてほとんどないに等しい。一方で、演奏家によっては結構な量があるから、このあたりはユーザーによってサービスの評価に影響が出てくる部分だろう。自分が好んで聴きたいアーティストが見つからない場合にはがっかりするかもしれない。

そんなふうで、大量1万点も、セグメント化を進めて実情を見れば不足部分は簡単に見える。そうであるにもかかわらず、このサービスにあっという間に加入してしまったのは、個人のディスク収集では太刀打ちできない明白なメリットがあるからだ。

個人的に惹かれるのは、大作曲家の作品がかなりの程度網羅されており、普段なかなか耳にしない小曲が気軽に聴ける点だ。話は今年になって読み、感銘を受けたクリストフ・ヴォルフの『モーツァルト 最後の四年』からつながってくるのだが、モーツァルトの伝記的事実をたどりながら、天才作曲家の作曲の歩みを記述するこの良書を読んでいると、「ここでジュピター交響曲の後に書かれている『軍歌《戦場への門出に》k.552』とはいかなる作品や?」などという興味が自然と湧いてくる。そんな時に、このサービスがあれば、そんな余程のモーツァルティアンでもなければ聴かないような曲もすぐに取り出せる。同じような使い方は多くの作曲家ででき、今までまったく聴いたことがなかったブルックナーの初期声楽曲などを楽しんだりしている。まさに「ライブラリー」が我が家に備わった気分になる。

ナクソス・ミュージック・ライブラリー』のメリットは、そうした調べ物をするように曲を聴く場合に、わざわざCDを買うなどということをしなくても気軽に接することができるようになる点と、もう一つには今まで聴いたことがない作曲家、作品、演奏家のCDを手当たり次第に聴くことができる点にもある。

限られた予算と保管スペースを前提にしたCDコレクションは、概ね自分が好きな曲に限られた保守的なものにならざるをえない。『ナクソス・ミュージック・ライブラリー』に入ると、聴くことの冒険ができるようになる。レコードやCDだと、贔屓の曲と演奏家を繰り返して聴くのが多くのリスナーにとっての録音の楽しみになっているんじゃないかと思うが、1万枚のライブラリーには毎日数枚から数十枚、ときには数百枚の大量な新着CDが続々投入されているので、その中から1枚、2枚のCDを取り出して聴く行為は、従来のCD視聴とは自ずから違った性格を帯びてくる。そもそも同じ録音を繰り返し聴く機会が減ってくるんじゃないかと思ってしまう。

今の気分を言葉にすると、我が家で毎日異なるコンサートに行っているような感じ。久々に自分の感覚に影響を及ぼすほどの技術革新に出会った、というと大袈裟かもしれないが、少なくともクラシック音楽の分野に関するかぎり、ここに来て初めてPCオーディオの時代が本格的に始まったのではないかと思われて仕方がない。