ゲルネを食うブレンデルのピアノ

シューベルトの『冬の旅』は、ピアノ伴奏を伴った(通例は)男声による歌曲集だが、伴奏であるはずのピアノが独唱と同等の存在感を最初から最後まで湛え、聴く者の耳を捉えて離さないという意味で、やはり特殊な音楽ではないかと思う。これは僕の新しい発見ではなくて、この曲が好きな人はおそらく皆そう感じているはず。であるが故に、と言ってしまってよいと思うのだが、普段は歌曲の伴奏になどまわらないスター・ピアニストが最近は多くの録音を残すようになっている。

今日聴いたマティアス・ゲルネが歌い、アルフレート・ブレンデルがピアノを弾く盤を聴いて、(また、いま二度目の視聴を繰り返しながらこれを書いているのだが、)あらためてこの曲がピアノのための歌曲であることを痛感させられた。

マティアス・ゲルネは去年の秋に東京でもシューベルト三大歌曲のリサイタルを開いていたドイツの人気バリトン歌手である。このCDでは、その深々とした声と生真面目な表現(という言い方はもしかしたら不真面目のそしりを免れ得ないかも知れないが)で『冬の旅』の陰鬱な美しさを遅めのテンポで描き出しており、これぞドイツ・リートと言うべき見事な表現になっている。

しかし、この録音の聴きどころはブレンデルだ。微妙なニュアンスの変化を聴かせるブレンデルのピアノは僕の愛好するところだが、このロンドン・ウィグモアホールで録音されたライブ盤(最初と最後の拍手も録音されている)の第一曲『おやすみ』で聴かれる解釈と実践をどうやって称えればよいのだろう! ブレンデルはこの曲をフイッシャー=ディースカウとも入れていて、その録音は同じコンビによるシューマン同様、万人が万人に対して推薦できる類のかけがえのない作品だと僕は信じているが、そこで聴かれる精妙さとは異なる自由な読みと自在な表現をゲルネとのライブ盤では聴くことができる。

第一曲『おやすみ』の「タン・タン・タン・タン」と続く単純なピアノの音型は『冬の旅』の主人公の歩行と暗い心持ちを直接表現する内面描写の音楽として僕たちは理解しているわけだが、ブレンデルはこの人の歩みを想起させる単純なリズムに乗った音楽を「えっ!」と思わせる、とても微妙ではあるが、この曲を聴き慣れている人なら誰もが驚くような明確なテンポの収縮を伴って表現する。歌手が長いフレーズを歌っている間に、ピアノこそが雄弁に心の揺れを音で表している。『冬の旅』はそもそもそうした音楽だとしても、ここでブレンデルがやっていることはブレンデルほどのキャリアがあるピアニストだから許される、一線を明らかに越えた演奏なのである。他の誰かならば、歌手が怒り出してしまうのではないか。だから好き嫌いはあるだろうが、一聴の価値は十分にある。

なお、表現とは裏腹に、録音上はピアノは後ろに下がった印象で捉えられている。このピアノ演奏をオンマイクで採ってしまったら、それこそ主客逆転がくっきりと印象づけられてしまいかねない。

シューベルト:冬の旅

シューベルト:冬の旅