『復活』の狂気

ギルバート・キャプランというアメリカ人がいて、この人は“マーラーの『復活』だけを振る指揮者”として知られている。本業は出版ビジネスで成功をした実業家だが、以前読んだ話によれば、なんでも若い頃に希代の名指揮者、ストコフスキーの演奏をナマで聴いて以来、キャプランは、『復活』の虜になる。そして中年になり、ビジネスマンとして功成った暁に、『復活』を自らの手で演奏したいと指揮のトレーニングを始めるのである。それまで音楽に関しては、ずぶの素人だった人がである。

なにせアメリカで成功した人だから、お金はたっぷりある。教育のために専門家を雇うのは訳がない。だとしても、巨大な邸宅や、豪華ヨットや、贅沢な旅行といった事柄に稼ぎを投入する金持ちはいても、「『復活』を指揮するために」お金と時間とを注ぎ込む金持ちは、どこを探してもキャプラン以外にいないはずだ。本当に好きなことを究める熱意が、他人から見ればほとんど狂気に近い領域に達した例だ。

キャプランの熱意は間違いなく狂気だが、その狂気を誘発したのがマーラーの『復活』だったというのは、なるほどという気持ちになる。二週間前に横浜フィルハーモニーの演奏で聴いて、「なるほど」の思いはさらに強固になった。開演前の楽員の皆さんの入れ込みようにも、盛大なブラボーが混じった終演後の観衆の拍手にも、「何でもない一日が特別な日になった」とお書きになったid:Emmausさんの感想にも、それ以外の曲ではお目にかかれないのではないかと思われる「なるほど」があった。

キャプランは、80年代後半に名門オーケストラのロンドン交響楽団を使って、この曲を録音している。当時、私は単なる金持ちの道楽としか受け取らなかったので、そのCDを手にとって聴くこともなかったが、その後、この人は『復活』だけで世界の有名オーケストラを指揮し、数年前には、なんとかのウィーンフィルと再録音を果たしている。音楽学者とともにマーラーの自筆譜を研究し、現行版の間違いを修正した自身の新版による録音だそうである。この録音、クラシックCDの権威であるペンギン社のガイドブックでも推薦盤として紹介されているほどだから、クオリティは間違いないはずだ。お聴きになったことがある方がいらしたら、ちょっと感想をお尋ねしてみたいし、『復活』をお聴きになったことがない方には、一度聴いてみてはいかがですか、とそそのかしてみたい気持ちになる。もっとも、音響効果を含めて、あの曲の本当の凄みは実演でなければ伝わりにくいかもしれないけれど。



マーラー:交響曲第2番

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