パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団のマーラー『復活』

パーヴォ・ヤルヴィN響首席指揮者就任記念演奏会を聴いた(10月3日、NHKホール)。曲目はマーラー交響曲第2番『復活』。

ヤルヴィというと、親父さんを思い出す口で、パーヴォさんを聴くのはわずか2回目。N響で春にシベリウスのバイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの『革命』を聴いて以来である。録音も限られた数しか聴いたことがない。ショスタコーヴィチを聴いたときの印象が蘇るエッジの効いた、荒々しい音がN響から飛び出す。と思うと、いつの間にか柔らかいフレーズが聴こえてき、おやおや違う世界が混じってきた、と思うと、音の舞台はまた変転して通常この曲の演奏では聴かれないきつい調子のアクセントが入り、と聴く側にふんだんの注意力を促すような演奏が繰り広げられる。最初から、最後まで。

この方の、マーラーの楽譜から呼び出す音楽には音色、フレージング、折り重なるメロディの横の流れ、それぞれに「私はこうしたい」という要求がくっきりとしており、その部分で、新しいものに出会いたい、驚きを体験したいという欲求を抱いて出かける生の演奏会の楽しみを満喫させてくれる。つまらない、主張のない演奏は聴かせないよ、という断固としたプロの矜持が確固としたこの演奏の設計図を支えていた。限られた練習時間で、どうして指揮者の要求がここまでくっきりと音になるのか。指揮者にも、演奏家にも驚嘆しなわけにはいかない。N響の腕前と指揮者の個性が組み合わさって初めて実現できる類のコンサート。まあ、これを聴いて金返せと言いたくなる人はいないだろう。

パーヴォさんの演奏は、楽譜から獲得できる音に対するメッセージが明確で、全体の組立てがよく練られている。聴かせ上手である。でも、私の好みとしては、もっとゆったりと自然に流れる音楽を聴きたい。この聞き手の神経を休ませない、しかし音楽づくりにおいてどこか冷めたところがあるように感じられる個性は、どこまでが天賦の才というか、どこからどこまでオーソドックスな演奏というものを意識しているのか、それを壊したり、そこから外れようという意識に裏付けられているのか。

パーヴォ・ヤルヴィN響のコンビの演奏会は、幸せよりも刺激を求めて出かける場になりそう。来年の2月にはブルックナー交響曲5番もあるが、マーラーリヒャルト・シュトラウスならいざしらず、ブルックナーは合わないだろう、この人、というような疑問を確かめに出かけてみたくなる。そういう演奏家だ。