NHK交響楽団のウィーン新聞評の日本語訳について

久しぶりの投稿になります。

 

NHK交響楽団が2年ぶりの欧州公演をやっていて、その評の日本語訳が次々とN響のホームページで紹介されている。あちらでの評価が気になる、あるいは良い評判を待っているN響ファンがたくさんいるということなのだろうと思う。

 

で、その中からウィーン新聞(Die Wiener Zeitung)の評なのだが、ブルックナーについて書いてある日本語訳が腑に落ちない。私のドイツ語はそもそもお粗末で、これだけの文章もしっかりとは読めないのだが、この訳がちょっと変なのは間違いない。

 

原文はこれ。

 

Zugegeben, das traditionsreichste japanische Orchester hatte nicht seinen allerbesten (und die Bläser nicht ihren kieks- und wackelfreien) Tag. Aber wie sich die massiven Speckstein-Formationen hier kantenlos auftürmten, in ungeniert vollem Klang und mit schmetterfreudigem Blech, das war gerade in den Außensätzen eine beeindruckende Bruckner-Demonstration. Dass sich Dirigent Paavo Järvi dabei auf sein Orchester und dessen Tradition einlässt, ist schon daran erkennbar, um wie vieles schlanker dieser Bruckner zum Beispiel mit dem hr-Sinfonieorchester unter der Leitung des Pultstars klingt.

https://www.wienerzeitung.at/nachrichten/kultur/klassik/2052521-Konzerthaus-Lauschen-ueber-den-Tellerrand-hinaus.html

 

で、N響ホームページでは以下のように訳されている。

 

伝統を誇る日本のオーケストラにとって、この日の公演は最も絶好調とはいえなかったようだ(管楽器もブレが全くなかった訳ではない)。しかし、まるで蝶が羽ばたくかのような金管楽器群の広がりと共に、精気を奮い起こす境目のない驚異的なフルサウンドは、とりわけ第2楽章のコーダでブルックナーを強く印象付けられた。首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが、このオーケストラとその伝統にいかに深く関わっているかは、例えばhr交響楽団を指揮した演奏と同じブルックナーを遥かにスリムに感じることからも明らかだ。

https://www.nhkso.or.jp/data/EuropeTour2020_review12.pdf

 

 

「精気を奮い起こす境目のない驚異的なフルサウンド」というのがよくわからないのと、「第2楽章のコーダ」とあるのが、本当にそうなのかが疑問である。

 

私のは、ちゃんと訳出できていない部分も含めて見ていただくが、次の通り。

 

この日,長い伝統を持つ,この日本のオーケストラが絶好調ではなかった(そして管楽器は凡ミスがないとは言えなかった)のは認めないわけにはいかない。しかし,巨大なソープストーンの地層が境目なく積み重なるような、臆することない巨大な響きと、蝶が喜ぶような金管楽器。これはAußensätzenにおいては実に印象的なブルックナー演奏であった。その演奏において、指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが彼のオーケストラとその伝統を尊重しているのは、例えばマエストロが指揮するhr交響楽団と比べ、このブルックナーがはるかにスッキリとしている点を見れば明らかである。

 

よく分からないフレーズが短い文章の2箇所にある。

まず、「wie sich die massiven Speckstein-Formationen hier kantenlos auftürmten」という部分。これは「巨大なスペックシュタインの地層が境目なく積み重なるように」と読めるが、「シュペックシュタイン」というのが何かが分からないので、著者が何の比喩を語っているのかが明瞭ではない。

ネットで調べてみると、「シュペックシュタイン」は英語では「ソープストーン」というもので、長い年月をかけて出来上がる変成岩。石鹸石というらしい。とっても柔らかい岩で、古代から彫刻の素材として使われてきたものなんだそうな。

https://en.wikipedia.org/wiki/Soapstone

 

とすれば、この文章は彫刻の材料のようなきれいな響きが溶けるように重なり合っているという褒め言葉のようである。ただ、N響の訳にある「精気を奮い起こす」というのはどこから来たのか分からないし、「驚異的な」フルサウンドというのはサービス翻訳ではないかと思う。

 

問題なのが「Außensätzen」という単語である。「Außen」という言葉と「sätzen」(Satzの複数形)の組み合わせ。「Satz」は音楽では「楽章」だとか、「楽節」を指すドイツ語。「Außen」の方は「外側に(の)」の意味で、対語になる「内側に(の)」は「Innen」。ということは、「Außensätzen」は「外側の楽節(複数形)」であり、外声部という意味ではないかと思うのだが、どうだろうか。つまり、評の文章は「メロディの流れはとてもよかった」というような意味ではないかと思う*

少なくとも「とりわけ第2楽章のコーダでブルックナーを強く印象付けられた」は、日本語の作文としか思えない。

 

最後の一文もN響の翻訳は分かりにくいが、要は「演奏はスッキリだったのは、ヤルヴィがN響の特色を活かした結果だ」という意味だと思う。ヤルヴィがN響ブルックナーを演奏して、それがウィーンの批評家に「スッキリ」聴こえたというのは、さもありなん。

 

*これを書いた後に友人の音楽評論家に訊いてみたら、「Außensätzen」は文字通り「外側の楽章」で、つまり4つの楽章のうちの「外側」、第1楽章と第4楽章を指すのではないかと教えてもらった。なるほど! たぶん、これが正解です。外側に置かれた2つの楽章がよかったということですね。