ワールドカップで仲間を擁護する英国選手は女性語を話すか?

昨日の女子サッカーワールドカップ・カナダ大会で日本チームはイングランドと準決勝を争い、終了間際に相手選手のオウンゴールで勝利を収めた。ウェブにはこの試合に関する多くのニュースが溢れている。

■OGのバセットをかばうFWダガン「彼女はすべての選手にとってお手本」

FIFA女子ワールドカップ・カナダ2015準決勝が1日に行われ、イングランド女子代表はなでしこジャパンに1−2で敗れ、決勝進出を逃している。試合後、FWトニ・ダガンは決勝点となるオウンゴールを献上してしまったDFローラ・バセットを擁護するコメントを残した。イギリスメディア『BBC』が伝えている。

 試合は1−1で迎えた後半アディショナルタイム、右サイドの川澄奈穂美が中央に送ったクロスボールをバセットがカットする。しかしクリアしたボールは自陣ゴール方向へ向かうとクロスバーに当たってゴールラインを割り、オウンゴールとなった。結局これが決勝点となり、試合終了と同時に涙を流しながらうずくまったバセットはチームメイトや監督に支えられながらピッチを後にしている。

 試合後のインタビューでダガンは「私は彼女が強い心を持っていることを知っている。バセットはすべての選手にとって偉大なお手本なの。私は彼女がここから立ち直ると信じているわ」とコメントした。

 決勝進出を逃したイングランドは4日に3位決定戦でドイツ女子代表と対戦する。
(「サッカーキング」2015.07.02. 12:39)

■日本相手の敗退に落胆もチームを誇るイングランド、OGのバセットには「素晴らしい模範」

女子ワールドカップ(W杯)準決勝で女子日本代表に敗れた女子イングランド代表の選手たちは、ベスト4敗退に落胆しながらも、躍進を遂げたチームを誇っている。

イングランドは1−1のタイスコアで迎えた後半アディショナルタイム川澄奈穂美のクロスをクリアしようとしたDFローラ・バセットのオウンゴールでベスト4敗退に終わった。

キャプテンのステフ・ヒュートンは、次のようにチームへの誇りを強調した。イギリス『BBC』が伝えている。

「言葉がないわ。私に言えるのは、すべての選手たちとスタッフを誇りに思うということだけよ。私たちは素晴らしい道のりを進んできた。でも、これがサッカーなのよ。時に残酷なものなのよ。でも、私たちは気を取り直して、土曜のドイツ戦(3位決定戦)を戦わなければいけない」

「選手たちはこれまで全力を尽くしてきた。素晴らしい選手たちよ。ファイナル進出を望み、そのために頑張ったわ。でも、今日はこういう結果になってしまった」

MFファラ・ウィリアムズもチームを誇りつつ、バセットを擁護した。

「チームとして、私たちは世界王者を苦しめたことを誇りに思っている。私たちは本当に彼らを苦しめた。私たちのゲームプランはぴったりとはまったのに、偶然のゴールで彼女たちが勝ち上がることになったのよ。バセットは自分がみんなを失望させたと感じている。でも、彼女はイングランドのために全力を尽くしたわ」

FWトニ・ダッガンは落胆をあらわにし、バセットが素晴らしい選手であることを強調している。

「打ちひしがれているわ。私たちは全力を尽くした。バセットは私たちの支えだったわ。彼女は全員にとって素晴らしい模範なの。きっと立ち直れるはずだと信じている。私は、チームがここまでやってきたことを誇っているわ。私たちはきっと立ち上がれるはずよ」
(「Goal.com」 2015/07/02 11:26:00)

ずっと引っかかり続けていたことなので、今日はこの話をネタにしようと思う。これらの記事で採用される日本語の会話文についてである。

「偉大なお手本なの」
「信じているわ」
「言葉がないわ」
「誇りに思うということだけよ」
「残酷なものなのよ」
「頑張ったわ」
「全力を尽くしたわ」

これらの発言が女性語で表現される理由はなにか?
「てよだわ言葉」は明治期の山の手上流階級から発祥し広まったと言われているが、現在の日本ではほとんど死語に近い。東京圏で暮らしている私は、もう絶えてこれらの表現が同世代より下の女性から発語されるのを聞いたことがない。ある程度年配の方々は別として、中年よりこちら側で「てよだわ」は絶滅したといってよいのではないか。

そうであるのに、これらある種のスポーツマスコミの記事では、海外の女性アスリートの発言が現地語から日本語に翻訳されるとき、当たり前のように「てよだわ」で表現される。記事を書いている人、翻訳を担当している人は、そうすることが習い性になっていて何の違和感もないのかもしれないが、個人的にはとても、とても気になってしまう。

当たり前だが、彼ら日本のマスコミが翻訳している元の英文記事に顕著な女性語が存在しているわけではないし、語っているのは10代から30代の若い人たちである。日本の若者のことを思い起せば、「てよだわ」をあてはまめる正統性はかけらもないと言わざるを得ない。

それにもう一つ。これらはインタビュー記事であるわけだが、なぜ、彼女たちは私語そのものの、ぞんざいな「てよだわ」なのか? 記者に向かって語られている、あるいはテレビ中継のマイクロフォンの前で語られる言葉は、それが日本国内であるならば、必ず、100パーセント「ですます」であるはずである。そして、しかるべく、活字になる際にはそれなりにきちんと「ですます」で表現されるケースが少なくないはずだ。

例えば、イングランド戦を前にした大野選手のコメント。

 大野 W杯ではやられていますけれど、あの時とは状況も選手も違う。今はみんなに危機感もあるし、誰が出てもいいように準備できている。気持ちでも負けない。みんなにも選手の特徴はミーティングで伝えています。
(日刊スポーツ「大野あすイングランド戦へ「負ける要素なし」[2015年7月1日7時38分 紙面から] )

多かれ少なかれ、こんな風に活字になるのだと思う。ところが、相手が英語やフランス語だと、平気で次のような表現にされてしまうのだ。

大野 W杯ではやられているけれど、あの時とは状況も選手も違うわ。今はみんなに危機感もあるし、誰が出てもいいように準備できている。気持ちでも負けないわ。みんなにも選手の特徴はミーティングで伝えているの。

やんちゃな日本代表選手が、こんなふうに語るか?
例えば日本語での語りの仕方を皆が知っている我が国の有名女性選手が、たまたま英語でインタビューに答え、それを日本語で伝える必要が生じた日本のメディアが「てよだわ」で翻訳をして記事にするか? しないだろ。澤さんが、「もう一度、青いユニフォームにそでを通したい、日の丸を背負って戦いたいという気持ちをずっと持っていたわ」って語ったことにするのは、どう考えてもおかしいだろ(『Number』インタビュー記事原文は「持っていました」)。という風に考えてみると、これら英国女性選手の語りが「てよだわ」であることの不自然さが際立つ。仲間の選手のミスを擁護する発言の内容には気品があり、それはきちんとした日本語で表現してあげないと立つ瀬がない。

だから、女性というだけで、海外の女性アスリートに「てよだわ」会話をさせるのはやめよう。同じようにマッチョな風貌の男性選手だからといって「俺は○×だぜ!」と当たり前のように品のない日本語にするのはやめよう。それをさせる側の性根が少々気持ち悪いと感じられてしまうから。