見事に耄碌した吉本隆明を見て思う

NHK教育放送で放映された「吉本隆明 語る」を見ました。83歳になった吉本さんが昨夏に行った講演の様子をつづった1時間半の番組です。車椅子にTシャツ姿で演台にのぼった吉本さんは見事にしょぼくれたおじいさんになっていました。何度か雑誌のグラビアや書籍上の写真でその姿を見ていましたので、ショックと言うほどの心の動きはありませんでしたが、「コム・デ・ギャルソン」のモデルになって埴谷雄高とちゃんちゃんばらばらと論戦を戦わせていた頃の颯爽としたイメージはあまりに強烈で、あの吉本さんがこんなおじいちゃんになるなんて信じられないという思いは消えません。でも、それが老いというものの現実です。

1年ほど前でしょうか、吉本さんのある講演を納めたDVDを買ったのですが、その映像を見る限り、そもそも若い頃から必ずしも話が上手な人ではなかったようです。講演を基にした著作を読むと、文学的な表現を駆使して流ちょうに話をする人物が想像されますが、その語りはむしろぼくとつといった方が適切で、速い思考に追いついてこない言葉で一生懸命に話すという印象です。テレビに登場した吉本さんは、見てくれと同様、体力・知力の両面でかつての吉本さんではありませんでした。江藤淳の「形骸」という言葉が思い浮かびました。ですが、今書いた、ぼくとつに、一生懸命に、という姿勢は昔のままで、高齢のために口もうまくまわらず、言葉を見つけるのも難儀しながらという姿の中に、かえって吉本さんの本質的な気質のようなものが、こちらに向けてはっきりと流れてきたように感じたのでした。そこに見えたのは、気質というよりはむしろ、もっと精神的な部分、吉本さんの思想と直につながった部分だったのかもしれません。

言葉と表現を賢明に見つけながらの、それはもどかしい講演ではあったと思います。それはおそらく本人にとっても、当日、昭和女子大人美記念講堂で実際の講演会を体験した聴衆にとってもそうだったでしょう。ですが、先月父を亡くし、80を過ぎた母親が残った私には、あのようにして吉本さんが語っているということ自体が大いなる励ましに感じられました。頭の回転が速かった母は、80を超え、体力も、思考のスピードも、その深さも限られたものになってきましたが、同じように不自由な身体と戦う吉本さんの映像を見ていると、それは実に自然なことなのだと了解され、その部分で私は大いに勇気づけられたのでした。吉本さんにすら、自分が自分自身で思い通りにならない年齢がやってくるのだから、そのことに対して悲しみの感情を抱く必要はない。あの吉本さんですら、と。

表現することの素晴らしさをあらためて認識させられました。