リアルとネットの裂け目で

勤め先の人にこのブログを見つけられたことを紹介した。それが一昨日。そして昨日のことである。編集者のKさんが僕の机の横にやってきた。
「中山さん、ブログ書いてます?」
とおっしゃる。「うん、書いているよ」と応答しながら、昨日のエントリーに登場したSさんが話をしたのかなと考えた。ところが、Kさんの次の思わぬひと言に僕は本気で飛び上がりそうになった。
「僕、中山さんのブログずっと読んでますよ」
おもわず「嘘だろ!」と、仕事をしていた周囲の人たちがさっとこちらを向くぐらいの大きな声が出てしまった。

彼が語るところによれば、Kさんは僕がこのブログを本格的に書き始めた2年前から読んでくださる読者様で、RSSリーダーに登録して来れば読むというお客さんなのである。検索エンジンが仕事にもかかせない時代、実名ブログを書いていれば、知り合いに見つかるのはむろんのこと織り込み済みだ。しかし、10日前に移ってきたばかりの20名ほどの職場で小さなブログの常連客に出会う確率がどれほどの数字になるのかを考えると、宝くじも2年真面目にやれば当たるかも知れないと真面目に考えたくなる。

互いが知り合って10日という人の口から「札幌の三上さん、いいですよねえ」というフレーズが飛び出してくるのを聞き「そう、そう」と横で大きな相づちを打っていると、著者がありえない偶然に次々と出くわすポール・オースターの『トゥルー・ストーリーズ』の世界に引き込まれたのではないかと思いたくなる。Kさんがそれこそオースターやジョナス・メカス、あるいはチェーホフを文学好きの仲間うちで語るかのような調子で「札幌の三上さん」を語るのを聞いたときのシュールな気分がどこから来ているのかを考えると、Kさんの言葉がどうやら僕が誰かに強制されたわけでもないのにそうしたものと信じて疑っていなかった世界の秩序に関する観念を揺さぶったからだと考えないわけにはいかない。やはり、俺って保守的、人間やっぱり保守的、とあらためて思う。

その後に交わしたおしゃべりの中でKさんは面白いことを語ってくれた。僕がこの会社に来て半年、同じ部門に来て10日経っているのだが、ブログをいつも読んでいたのにまったく二人の人物がつながらなかったと言うのである。ご覧の通り、このブログは実名をさらしているし、二度ほど顔写真も掲載している。しかも、オフィスのある目黒で呑むなんて話題も書いている。だのに、ブログを書いているやつと職場にあらわれたおっさんが結びつかない。

Kさんがはっと気がついたのは、一昨日のエントリーで“『InterCommunication』の編集者Sさん”という表現を見つけたからだと言う。リアルとネットをつなぐ裂け目が固有名詞によって生じた。やはり、現在のネット空間の中でものを言うのは“ものの名前”なのだ。このブログは自分自身の日常生活をネタに使っており、親切な知人から「そこまで書いて大丈夫?」などと心配してもらうこともあったりはするのだが、もし仮にわたくし自身にとって如何に切実な勘定を吐露したとしても、抽象的な思念や読み手と縁がない関係性の記述は、ただそれだけで銅線や光ファイバーの向こうの無数の人格にストレートにとどく可能性は小さい。それらはブログの常連の中に定着する、化学反応を起こすことは十分にありえるけれども。
というわけで、実名ブログ運営にまつわるセキュリティに関して言えば、ある領域についてはあまり心配はしていない。ブログ上の実名もほとんどの読み手にとってはハンドルネームの亜種でしかないからだ。