見つかった

一般書籍の編集部門に異動して一週間。まだ、前の担当の仕事を引きずっていて、新しい仕事は始まったが、気がついたら電車は動いていましたといった状態で、本格的な始動と言うにはほど遠い。今はやり残しの仕事を早くなんとか片付けてしまいたい一心。今月中はそちらに引きずられながら、新しい職務を離陸させるべくばたばたと動き回る生活が続きそう。仕事の外で個人的に二つ三つと小さな依頼を受けていることがあり、それらをすませなければならないのだが、端的に言って時間がない。それらをこなす心の余裕がない。お待ちいただいている方が、これを読んでいただいてる中にもいるはずだが、すみません、もう少し来ながらにお待ち下さいとお願いするばかり。

ところで、昨日のこと。夕刻の職場で仕事にまつわる会話のなかで思いがけないひと言をかけられた。「中山さん、ブロガーでいらしたんですね」と。

本格的に始めて2年余。知人からメールで「読んだよ」と一報が来ることはあった。前の職場では少なくとも何人かは定期購読者に近い人がいた。しかし、ほとんど全員が何かの出来事や直接知り得た情報を媒介にして僕のブログの存在を知った人たちで、そうした契機が何もなしに、検索・リンクをたよりにしてここに辿り着き、「読んだよ」と言ってもらったのは初めての経験である。

ある種の感慨があるのだが、この感慨を因数分解するとなんだろう。

見つけてくれたのはなんと僕のすぐ隣にすわっている編集者のSさん。先月惜しまれつつ休刊となった硬派の季刊誌『InterCommucation』の編集を手がけてこられた方だ。別の部門から移ってきて、お互いに顔と名前が一致して二週間。こんなにすぐに勤め先の人に見つかるとは思わなかった。半年所属した前の部門では誰一人指摘する者はいなかった。

Sさんにも言ったのだけれど、実名でブログを書いている手前、当然知人が来ることも、勤め先の人たちが読むことも勘定には入れている。ところが、思ったほど見つからないのである、これが。そして見つけてくれたリアルの場での知り合いとは、ブログのおかげでコミュニケーションが円滑になる、別にそれで困ったことが起こることもない、というのがこれまでの経験でもある。Web3.0云々といったコンセプトを聞いたりするが、ツールの持つ力に助けてもらわないである種の情報に到達するのには偶然とともに志向性が大きくものを言うはずで、その志向性の存在が「ブログを読んでくれた人とはうまくいく」という、大雑把に言えばそう言ってしまっても当たらずとも遠からずな法則を支えている。
てな、今日も落ちのない感想をひとつ。