文章との距離

「自分が直面している現実とそれに対する思い、そしてそれらと言葉との間には、いつも距離がある」と三上さんが書いている。

■思いと言葉の間で遊べますか(『三上のブログ』2008年7月7日)

たしかにそれは文章を書くたびに自覚すること。しかし、同時に他人の書くものを読み、また多くの場合書いた本人に会うたびに思うのは「文は人なり」ということ。なるほど、この人が書いた文章だな、と直感的に納得できる何かを生身の人間が発散している場合が少なくないし、継続して読むブログを通して僕らはその人の人となりに可能な限り接近していると感じられる。

「他人から見れば近く、自分から見れば遠い文章とはいったいなに?」と考えると、つまりそれは少なくとも自分には見えない実存の裂け目、あるいは自分をかすかに映す出来の悪い鏡みたいなものなんだろうとは思いますね。