最近、ブログが書きにくい

三上さん(id:elmikamino)のブログでコメントのやりとりをしている最中に、後先のちゃんとした説明をまるで省いて、

今のようなお手軽息抜きブログはよくないなと思い、とりあえず一年ぐらい休んでみようかとしばらく前から考えています。
どうも、ブログに書けないことが多いんです。ということはブログは安全運転の話題ばっかりで、そりゃよくないよなと。

と書いたら、(後で読み直してみればこんな説明で伝わるかよってな文章なので、それは当たり前ですが)僕の意図は伝わっておらず、伝わらない先で下記エントリーでご覧いただけるように、三上さんからのトラックバックが盛大に三本も並ぶ結果になってしまいました。

三上さんは、「ブログに書けないことが多い」というフレーズを「ブログに書けない個人的な問題や屈託があって、それはプライバシーに係わる話なのでブログに書けないことだし、でも“ブログに書けないことが多い”って誰かに言って甘えたいし」と書いていると解釈なさって『書きたいことが書けない理由は何か』というエントリー、それに続くコメントをお書きになったようです。

三上さんの8月25日付けのコメント欄で、僕がその際に言わんとしたことはすでに伝えましたが、誤読は読者の権利であることは重々承知の上で、それは誤読であると僕自身が感じるエントリーが今後も人目に触れるのは僕としてはやはり気持ちが悪いので、あらためてここで「最近、ブログが書きにくい」と題してブログをめぐる個人的な状況を話題にしてみることにしました。

僕が「ブログに書けないことが多い」と書いた理由、あるいはその真意は二つあります。二つは独立してまったく別々のことです。両方共にごく個人的な理由ですが、ここにあらためて紹介しようと思うのは、個人的な理由といっても、それなりにこれをお読み頂く方の日常にも通じる普遍的な感覚がそこにはあるだろう思うからに他なりません。

第一の「書けないこと」は、「書きたくてうずうずしちゃうんだけど、書くことが許されないこと」がひどく多くなっているということなんです。これは僕が昨年から出版社で仕事をしていることに由来しています。お読み頂いている方には説明の必要はないと思いますが、僕がブログで取り上げる話題としてはウェブやブログに関すること、読書に関すること、音楽に関することなどが目立っています。問題は読書、つまり本の話題です。

僕はブログを始める際に「ブログで仕事のことを書くのは止めよう」という個人的な方針を立てました。ブログを始めて最初の2年間、僕がIT業界で仕事をしていたときには、この方針にしたがってすんなりとブログは動いていたのですが、出版社に来てしまうとブログと仕事との棲み分けはけっこう面倒なことになってしまいました。本の話題を出版社の人間として書くことについては、今回の三上さんの誤読に見られるようにそれなりのリスクがあります。誤読は読者の権利、誰が何をどう解釈するか、分かったものではありません。ですから、私の勤め先が対象としていない文芸ものはいいのですが、ノンフィクションやある種の学術系の書籍についてお気楽なコメントをして、それが書いた私が意図していなかった反応を引き起こした場合、それは個人の趣味の問題を超えたヤバさの色を帯びることになります。ちょっと、神経質になります。これは趣味のブログにとっては、けっこう負担なんです。僕は三上さんとは違って、ブログはライフワークなどというほど自分の人生にとって重視をしているわけではないので、そうなってくると「無理に書かなくても」という気分も出てきます。この二つ下にある出版関連のエントリーは、そういう意味では、ちょっと則を超えた感があって、ひやひやしています。

出版社にいると、本好きの僕にとっては、いかにもブログに書きたくなるような出来事が多いんです。実はブログに向かうたびにうずうずしています。例えば、坂東さん(id:keitabando)から、フレッシュな情報が入ったり、三上さんの取り上げている著者や書籍関係者と会社のつきあいがあったり、その他、あれこれ、いろいろと。そういうのを「うー、もったいない」と思いながら、書けないトピックの棚に移していきながら、あらためて話題を探すというのはつまらんなあと。これらが「ブログに書けないことが多い」の僕の現状です。

この齟齬は僕が実名でブログを書いていることに大いに関係があります。おそらく、ハンドルネームで書けば、仕事を取り上げることのリスクは大いに減少するはずです。そこでどうするかは、主義主張に他ならないわけですが、僕は実名で情報発信をすることに意義を感じているので、偽名の気楽さで「実はさ、」というのはやりたくないとは思っています。

第二の「書けないこと」は、まったく異なる観点からの「書けないこと」で、これはすでに三上さんのコメント欄で書きましたが、ブログのようなフローの情報提供に向いた媒体で、こうした短い文章を書くという遊びではなく、もう少し長い、じっくりと構成を考えて組み立てるような文章を書きたいという欲望がいま強くなっていまして、そうしたものはブログでは書けないという意味です。昔はシンクタンクで報告書を書く仕事をしており、100ページを超える報告書を年間数本仕上げるのが仕事でした。しばらく、そうしたことをやっていない反動で、面倒くさい文章をじっくりと練り上げるというチャレンジをしたい、別に調査報告書ではなくて、趣味の文章の範囲で、ということです。

こちらの二つ目の問題意識を一般化すれば、ブログは課題を構造化し、長いものを書いたり読んだりするのには、紙メディアと比べた場合、相対的に向いていないということにつながります。餅は餅屋、紙は紙、電子媒体は電子媒体という棲み分けは次第になくなりつつあるように思えますが、今のところ書く者の心理的な垣根が存在しているのは紛う事なき事実であろうと思います。

最近、twitterに対する違和感を何度か書いていますが、それは多くの知り合いが140文字の短いゲリラ的情報発信に積極的に関与しているのに対して、僕の個人的な興味が「長いものを書きたい!」に向かっていることと大いに関係があります。