ぜんぶつくりばなし


目黒の飲み会で「本人とブログの文章のイメージが違う」と指摘されました。指摘したのは人をおちょくって遊ぶのが大好きなせるげーさん(id:sergejO)です。

でも、考えてみればそりゃあそうで、ブログは私が作った架空の人物、中山隆あるいはtaknakayamaが書き綴っている文章ですから、それを読んだからといって私が理解できる方と考える方が間違っています。エッセイだとか随筆と言われるものは、作者の日常生活を素材にした作り話です。このブログもそうしたジャンルを意識していますから、正真正銘、確信犯的嘘つき文章です。言葉にするならば、どんな嘘をつこうかと一日に一度短い時間ながら策略をめぐらすのが楽しみで書いているわけでして、人間嘘をつくのも才能がいるし、何割かは素の自分があらわになるのは仕方がないにせよ、私がどんな人間かを知らせるのが目的で見ず知らずの方も含めた皆様に向けて情報を発信しているわけではないですね、少なくとも。そもそもBLACK LIONに向かう途中の私が、いけ好かない上司にいじめられた直後で、「今度生まれ変わったときにてめえが豚になっていたら、他の豚と同じ顔しても絶対に見つけ出して、最初に食ってやるから覚悟しておけよ」などと呟きながら目黒の坂を下りていたことをお知らせしない方がいいかなとも思うわけです。生身の私なんて私自身がもっともつきあいたくない嫌な奴、つまらない奴ですからね。他人様にそんな人間の情報をさらして害悪を及ぼすのはよろしくない。愚の骨頂です。

もっとも最近、このブログは日記的な方向に流れていて、それについては若干忸怩たるものがあるのでありますが、まあ遊びだからいいかあとすぐ甘いことを自分に向かって言ってしまい、とことんできないところが私の弱さです。そういうのは書いたものを読むと如実に感じます。もちろんこれもここに書いているかぎりは嘘が混じっているわけですけど。

ところで嘘と誠と言えば、美崎さんのブログをまた読みに行かねばなりません。第6回のこの文章は美崎さんのブログ書きを批判するストレートなコメントが無茶面白いのです。

blogを書いている友人はとてもたくさんいるのですが,やっぱりみんな脚色していたり,話題として扱いやすいことだけをとりあげて書く傾向にあるようです。他人事で老婆心ながら,それでいいんだろうか,という気がします。

愚考するに,よいことも悪いことも,ひっくるめて人生なのだと思うし,その取り返しのつかない一回性を生きていくのが人生なのだろうと思うためです。
(ハードウェアの近未来『LifeLog -- 毎日保存したログから見えてくる個性』第6回)

ブログは嘘が混じるので書きたくないとおっしゃる美崎さん。私は「ブログは嘘が混じる」の部分という部分は賛成です。そのとおりだろうなと思います。私のように「嘘を書くぜ!」と勇んでブログを書いているやつじゃなくても、人間自分の思ったことについてほんとのことはなかなか書ききれないもんだと思います。嘘の一つや二つも自然と混じるでしょう。嘘をつくのは楽しいんです、誰にとっても。きれいな嘘に代表されるような自己に向けたエンターテイメントの発動、それから別の側面ではビジネスブログ的なものに端的に表れているように自己宣伝媒体としての他者に向けた有用性、この二つが我が国のブログを成立させているんだと思っています。

後者については、「俺もこのブログをそういう風なものにしようかなあ」という誘惑に駆られることが少なからずあり、その声を相手に常に戦っています。もちろんこれも嘘ですが、本当だとしてもおかしくないほど、ブログをビジネスの道具として上手に活用している例がたくさんあります。言うまでもなく『simpeA』(id:simpeA)なんて知る人ぞ知るその代表例じゃないでしょうか。ベタな例は○×社長のビジネスブログの類ね。継続しては読む気にもならないけど。

で、話をもとに戻しますが、嘘が混じるので書きたくないとおっしゃる部分、嘘は個人の人格に悪い影響を及ぼすと主張する部分は美崎さんの「嗜好/指向/志向」が夏の太陽の下で見る影のようにくっきりと目に焼き付く部分です。と同時に我と我がブログ活動を振り返る契機として、あるいは話のネタに最高なので、みんなで読みに行きましょう。

■ハードウェアの近未来(『LifeLog -- 毎日保存したログから見えてくる個性』第6回)

ちなみに私の場合ですが、美崎さんが危惧するような、嘘の自分を自分と見間違うという現象があまり起こらないだろうと思っています。何故なら忘れちゃうからです。書いたこともあまり読み返さないし、日記や行動記録はとっていない。何も覚えていないとは言えないものの、ほとんど忘れます。過去の文章は、他人の書き物のように楽しめてしまいます。