ペンギンのCDガイドが届いた

一昨日、アマゾンで注文をしたペンギンの「Penguin Guide to Compact Discs And Dvds」が届いた。英国で発行されているクラシック音楽のお勧め盤ガイドである。作曲家ABC順で、主立ったクラシックのレパートリーはおろか、かなりマイナーな作曲家も取り上げて、優良演奏のCD、DVDを紹介する本だ。しめしめと取り出したら、今年の最新号は意図していたものと異なる昨年発行された版の増補版だった。紹介されている楽曲は、この1年に出たものを中心としており、必ずしもザ・ベストを取り上げた号ではない。ページ数も少ない。このガイドは最近はこういうシステムで発行をしており、それを知らないわけではなかったのだが、注文する際についうっかりしてしまった。とすれば昨年版も購入していないことになる。今買うなら、こっちの方だった。

The Penguin Guide to Compact Discs and DVDs 2005/06 Edition: The Key Classical Recordings on CD, DVD and SACD, 30th Anniversary Edition

The Penguin Guide to Compact Discs and DVDs 2005/06 Edition: The Key Classical Recordings on CD, DVD and SACD, 30th Anniversary Edition


2年ぶりに購入したペンギンガイドだが、もう過去の号が5,6冊は部屋の隅に積まれている。10年ちょっと前から買い始め、実際には購入するCDの数などたかがしているので買い換える必要はないと思いながら、そのテキストを読むことが楽しみで、つい購入してしまう。損も得もない、ただ楽しみのためだけの時間を作り出す上で、僕にとってこのガイドは部類の友となっている。

この出版物を初めて手に取ったのはニューヨークに駐在中の本屋で。アメリカのクラシックファンはこういうものを見てCDを買っているのかと興味津々で買って帰った覚えがある。ぱらぱらめくってみると、日本でこの種の本が紹介する録音とはかなり異なる視点、テイストで選出がなされているらしく、知らない録音がかなりある。一方で、日本で「これがこの曲の決定盤」と評論家諸氏が挙げる録音が無情にも無視されていたりするのも面白い。ニューヨーク・タイムズなどで僕が接していたアメリカの趣味・嗜好ともどうやら同じではない。大袈裟に言えば、ある分野の知の体系が、別種の価値観によって組み替えられているのを見るようで、それが面白いのである。

日本で行われている一般的評価と異なる一つの例としてバッハの鍵盤曲を挙げると、この分野でペンギンガイドがあたかも神のようにあがめ奉るのがロザリン・テュレックである。かのグレン・グールドもそのスタイルに影響を受けたバッハのスペシャリストだが、その事実すら僕は10年前にはまったく知らなかった。彼女の弾く『ゴルトベルク変奏曲』は、同誌の選者が「無人島に携えていく一曲」とこれ以上ないレトリックで絶賛するので、聴かないわけにはいかないという気分になる。その他、バッハに関しては、この人の録音は過去多数紹介されており、実際ニューヨークのHMVでは何枚もの盤が常備されているし、アメリカでは大スターなのだ。ペンギンを読むまでまったく知らなかった。いまだに日本でテュレックを好んで聴く人は数少ないし、ピアノを好んで聴かないかぎり名前を知ることもないのではないか。

逆に我々がクラシック音楽の代名詞のようにその名前を見聞きする小澤征爾は、悲しいかなほとんどその名前が出てこない。以前の号では、それでも彼が得意なフランスものや合唱付き大曲で紹介されている演奏があったが、最近はめっきり。案の定、イギリス人の演奏家クレンペラーなどイギリスに縁が深い演奏家の名前は頻出しており、これはある種の生活臭なのだろうなとにやりとしてしまう。編者たちが、市場で取引されているクラシックのCDというかなり狭い対象をとりあげ、客観性・網羅性の原則を貫いた結果として刻印されるお国柄に人の世界観の成り立ちようがくっきりと現れるのだ。今日本で話題のミシュラン・ガイドもそうだろうけれど、こういうものは決して眉間にしわを寄せるようにして読んではいけない。楽しむべきはエスプリ、あくまで遊び心なのだから。