「好きなこと」と「できること」

しかし、人は「好きなこと」と「できること」が違う場合も多い。

佐藤優著『国家の罠』の中にこんな一節を見つけた。佐藤さんは諜報の仕事に携わりながらも、「正直言ってこの仕事は好きではない」と書く。へえと驚くことも、さもありなんと頷くことも、人は皆そうさとさりげなく聞き流すことも、社会人をそれなりの時間過ごしている読者なら、その時の気分でどれもできそうな気がする。

翻ってまた梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』の話なのだが、僕は梅田さんがブログで「好きを貫け」と主張しているのを初めて読んだときには、これは正直に言うが、ちょっとそれを但し書き抜きで言うのはまずいのではないだろうかと思った。まったくもって、人は「好きなこと」と「できること」が同じとは限らない。僕の周囲にも好きを貫いて経済的に厳しい状況にある者が少なからずいる。それを考えると、「梅田さんが言っているから」と、ある意味盲目的に追従することも考えられる若者たちに向かって、それを語るのはどうかと思ったものだ。

しかし『ウェブ時代をゆく』を読んで、僕の考えていたことは間違っていた、少なくとも杞憂であったことがよく分かった。何故ならば、梅田さんの「ロールモデル思考法」は、能う限り理想を追求する、しかしどんな場合も常に現実的であることを要求するものであったから。梅田さんの「好きを貫け」は「理想に殉ぜよ」ではまるでなく、「知恵を絞れ、その上で妥協できる範囲で常に現実的であれ」と語っていたのだ。これってほんとに「好きを貫け」になるのかなとむしろ心配になったくらいである。しかし、これは「自分は何がほんとうに好きなのか」という問いに対する弁証法になっているのかもしれないと思い直したりもした。「好き」と「できること」に対話をさせて、納得を得つづける方法とでも言ったらよいだろうか。

梅田さんは実に果敢に、誰に頼まれたわけでもないのに、理想と現実の拮抗という難しい話題に突進したものだと思う。ちょっと『ウェブ時代をゆく』刊行から時間を経てついに年の瀬になってしまったが、これは時期はずれのコメントになろうとも、著者へのエールを送る意味でいつか書いておかねばと思っていたことだ。『国家の罠』に思いがけないレトリックを提供してもらった幸運に対して感謝しつつ。