シューベルト入りのシチュー

昨日の午前中、「今日出かけるから、昼と夜よろしく」とうちの奥さんから急なお達しがあり、にわかコックさんへの変身を余儀なくされる。毎度の無惨な男の料理の一日が始まるのである。生来の不器用ときているので、段取りを考えるだけで屈託の影が忍び寄る。つくづく思うのだけれど、仕事ができるビジネスマンは台所に立たせてもいい仕事をするに違いない。その逆も十分に言えるような気がする。献立を考え、効率的に仕事を進め、家族の満足を日常的に引き出している主婦の方々は、ある種の仕事をまかせれば企業の中で大きな戦力になるのではないか。

何かつくれとご下命がある日は、休日にもかかわらず「仕事のできないわたくし」と向き合う羽目になり、限りなく小さいレパートリーの中から何を選ぶかだけでパニックである。気を利かせて普段食べないようなものをつくってみようと料理の本などと向かいあうとたいがいろくなことはなく、我が家の遠慮のかけらもないお客からは「お願いだから、普通のものをつくってくれる」と釘を刺される始末。

さて、どないしょう、と困っているところに願ってもないレシピの提示があった。Emmausさんの「アマデウス・アップル・カレー」だ。

■待ち望む日々の間に(『Emmaus'』2007年12月21日)

リンゴをすり下ろしたカレーライスおいしそう。グルダを聴きながら野菜を切れば仕事は楽しいに違いない! ブログが我に与え給うた啓示であると前向きに解釈し、これでいこうと決定。となるはずだったが、カレーは一週間前につくったばかりなのを思い出す。けっきょくスーパーの食品売り場でも優柔不断な性格を存分に発揮し、ああでもない、こうでもないとうろうろしまくった挙げ句にごくごく単純なメニューが決まった。昼はアメフトのレシーバーで底抜けの食欲を持つ長男と野球部の練習から腹を空かせて帰ってくる次男のためにベーコン、ピーマン、タマネギ入りのトマトソースのスパゲッティ。夜はクリームシチュー。

シチューづくりはEmmausさんのむこうをはってシューベルトの第9交響曲『ザ・グレート』をショルティウィーン・フィルを聴きながら野菜の皮をむく。「トプフ・ミット・ミルヒ・ウント・シューベルト」である。ふふ、不味かろうはずがない。ショルティの録音は晩年の一枚だが、これはかつての攻撃的な色彩が後退し、威風堂々としていながら柔らかさも十分にある演奏。ショルティウィーン・フィルと言えば、かつては噛み合わない代名詞のように受け取られていたし、「ショルティを絞め殺してやりたい」と言った団員もいたとかいう物騒な話も残っているが、最後の時期に両者が残した演奏はこんなにも伸びやか。数年ぶりに取り出してきて聴いたが、悪くない。

このまま終われば昨日は大成功だったのだが、サイドテーブルにとつくってみたほうれん草と卵の炒め物が不興を買った。いつもの話なので気にする必要もないのだが、「どう?」と食卓の向かいに座っている次男に訊いたら、「テレビ番組で芸能人がつくる失敗料理みたい」との感想が帰ってきた。保守的な連中とつきあうのは大変である。


シューベルト:交響曲第9番

シューベルト:交響曲第9番