動機付けは難しい

昨日のエントリーを書いた後に「キッザニアを褒めるのは、まるで教育パパのようではないか」と自分一人で苦笑してしまった。超私的な話題もどうかと思うのでさらりと書きますが、僕は子供のお勉強はまるで放任であり、「やりたくなかったらやめたら」と言っている。それに、みんな義務教育を終わってティーンエイジャーになっちゃったので、あとは自分で頑張ってねだ。

とは言うものの、「下流社会」の現実は恐ろしい。末っ子が行っている公立高校は試験の成績の順位を全員に教えてくれるのだが、息子はなんとこの前のテストで理科学年1位。それも下から数えて、という話を聞いたときには、思わず「おい、もっとちゃんと勉強しろ」などと口走ってしまった。高校野球をやりに学校に行っている息子は、勉強に対するモーチベーションはマイナスである。僕自身は、内なる意欲に支えられていたのか、競争にそそのかされていたのかは別にして、それなりに勉強をする子供だったので、今の自分の息子の心の中を把握できるかと考えると実に心許ない。しかし、子供の頃から物質的に恵まれ、精神的にも辛いことはそれほどなく安穏と過ごしている子供たちが、“内なる意欲”を持たないままに「何のためになるのか分かんない勉強なんかかったるいだけ」となるのは分からないではない。分からないではないだけに難しい。

昨日NHKの9時のニュース番組を観ていたら、国際比較をすると日本の子の学力が如実に低下しているという話題が出てきた。その際に、実験を多用するなどして、子供たちに理科への興味をかき立てている高校の先生の成功事例が紹介されていた。それを一緒に目にしていたくだんの息子が「こんなんだったら授業も面白いと思う」などと言うのでちょっとびっくり。「先生の話そんなに面白くないんだ?」と訊いたら、「なんか一人でしゃべっているだけで、何言っているのかさっぱり分からない」とさ。「人のせいにしないで、ちゃんとやるべきことはやれよ」とかなんとか言いそうになるシチュエーションだったが、思わず「ふーん」と言ってしまった。

キッザニアに出かけている子供たちはどんな人生をこれから過ごすのだろう、などと考えるのはよけいなお世話である。