キッザニアの行列に圧倒される

キッザニア」をご存知だろうか。昨年の秋、東京は江東区豊洲に開業した子供向けの職業体験テーマパークである。開業早々大人気で、数ヶ月後まで予約がいっぱいで入れないという信じられないような活況を呈している。昨日たまたまそのそばを通り、入場を待つ子供たちと親御さんが長蛇の列をなしているのを見た。つづら折りにしつらえられた待機スペースには収まりきらず、施設が入っているららぽーと豊洲の一般通路まで小学生と母親たちの列が溢れだしている。隣にある書店にいったときにこの光景にぶつかったのだが、書店の前を地べたに座って並ぶ親子の列がずっと続いて向こうの方まで続いている。もしかしたら100メートルになるかもしれない。子供たちとお母さんたちのつくりだす喧噪と熱気にたじろがされた。

その列を見ながら考えるところがあった。仕事の話だ。僕は長いことマーケティング調査の仕事をしていた。ある特定のフィールド、ある種の情報機能やサービスの原型、場合によってはもっと漠然としたお題を与えられて消費者ニーズを調査し、レポートをまとめるタイプの仕事だ。村上春樹が『ダンス・ダンス・ダンス』で主人公に“文化的雪かき仕事”という言葉を吐かせている。『羊をめぐる冒険』で翻訳事務所をやっていたこの主人公は、『ダンス・ダンス・ダンス』のときにはフリーライターか、そんな仕事だったはずだ。他の登場人物に対して自嘲気味に吐くひとことである。その表現を借りれば、『ダンス・ダンス・ダンス』が出た当時の僕は、一種の“雪かき仕事”になりがちな調査の仕事をなんとかそうならないようにと、可能な限りせいいっぱい一生懸命だったように思う。

その頃の僕が仮に「キッザニア」やそれに類するサービスの日本での受容可能性を提案する仕事を受けたとしたら、どうだろう、ちゃんとした答えを出せただろうか。

もし、それが「キッザニア」のコンセプトを提示して「興味がありますか、ありませんか」といった類のことを調査する仕事であれば、できるもできないもない。誰がやっても、「イエスが何パーセント、ノーが何パーセントで、これは過去のこの種のニーズ調査の水準に照らすと、云々……」という答えが半ば自動的に出てくるだろう。
しかし、実際に僕が担当していた調査は、もう少し抽象的なレベルで、例えば「子供に対する新しいアミューズメントの提案のあり方を探る」というようなタイプのものだった。そうしたテーマで仕事を請け負ったら、どんなレポートを上げただろう。アミューズメントのニーズをグループインタビューなどで抽出し、それらをうまく類型化した上でアンケート調査をかけることができれば、AタイプよりもBタイプ、CタイプよりもDタイプといった傾向を語ることはできるだろう。そんな風にして、ある種の教育へのニーズ、職業教育へのニーズのようなものにうまくいけば到達できたかもしれない。とてもうまくいけば、だけれど。

しかし、その結論からキッザニアのような具体的なコンセプトまではまだまだ大きな距離がある。これが社会調査を基にした帰納的な方法を創造の現場に活用する限界だ。もちろん、サービスの詳細を検討したり、事業の規模を確定したり、事業計画を練ったりする際に調査がその役回りを果たすプロセスはちゃんとあるのだが、そうだとしても、調査をしたからといって風が吹くわけではない。こうした話はmmpoloさん(id:mmpolo)も以前書いていた。いったい自分がやっていた仕事って何だろう、と思わないではない。

キッザニアは海外資本のアイデアを日本に輸入した例だが、このサービスを日本に持ってきたいという大いなる熱意がキッザニアを運営する会社の社長にあったと聞く。その社長の直感と熱意が、結局すべてだったんだろうなと思う。そこからさらに遡って、最初にこのテーマパークをつくったクリエイターの直感が物事の始まりだったのだなと思う。もちろん、企画だけで物事が動くわけではなく、プロセスを組み立て、毎日の運用を滞りなく行い、かつ、消費者の満足を維持していくためには、間断のない品質維持のさまざまな努力が必要とされている。むしろ、そこに数多くの差別化のポイントがあるんだよとメーカーに勤める知り合いなら言うだろう。そうなんだろうなとも思う。どうも、ここ数日のエントリーはメッセージが拡散気味だが、今日はキッザニアの行列を見ていて、しっかりと気圧される思いがしたことだけはちゃんとお伝えしておきたい。


■キッザニア東京(Wikipedia)