エレベーターで女性を譲らない私

今の会社に転職してきて妙な感心をしたのが、女性が一歩下がること。比喩的な意味ではなくて、物理的、即物的、視覚的に、会社のエレベーターに乗ると、そういうことが起こる。40代の僕に若い女性が気を遣ってくれて、出口を譲ってくれるのだ。誰が決めたルールがあるわけではないのに、目上の人をいたわりましょう、男尊女卑が社会の掟みたいな規範が漂っているのが今働いている会社の不思議だ。いや、実は女性だけではなくて、若い男性社員のかなりの人たちも「開」ボタンを押して先に行かせてくれたりする。いやー、なんかいいのかなと思いながら、「ありがとうございます」とひと言申し添えて郷に従っちゃったりしている。日本の会社ってどこもそうなのかな?

このことに対して、どうも気持ちが落ち着かないのは、アメリカ駐在の間、女性を先に行かせる習慣が付いてしまったからで、「えっ、なんでそうなるの」と、今の会社に来た6年前にはエレベータのドア先で不必要な譲り合いを演じ合ってしまったり。今では当たり前の顔をして先に行くことにしているけれど、内心はとても気持ちわりいと思い続けている。それってダサくないかと心の中で苦笑いである。

フェミニストにしてみれば社会的な優位を獲得している男の傲慢と見えるかもしれないが、僕は、あの「公の場で女性を優先しましょう」という欧米の習慣はとてもいいと思う。米国では日本に比べて職場でそれなりの地位を得ている女性の比率は圧倒的に高いが、それはそれとして女性が損な立場にあることには変わりはない。そういう社会的な環境を前提にして、同じ会社のエレベータに乗った同乗者が上司の部長だろうが、その上の取締役だろうが、まずは女性の社員が先というルールの存在は、会社という存在を社会の中で相対化する効能を持つ。それはけっこう意義があることではないかと僕は思う。

ところが日本の場合、まぁデパートのエレベーターが無法地帯なのはどうしようもないとしても、秩序を求める会社のエレベーターが会社そのものの序列感覚に染まってしまう。
米国のオフィスで一緒だった、いつも元気な現地採用の日本人女性Sさんが、眉間にしわを寄せてぷんぷんと怒っていたのを、これも苦笑の気分とともに思い出す。ある日、日本から出張してきた本社のナントカ部長さんが自分に道を譲らずにさっさとエレベーターを降りてしまうと言って本気で怒っていたのだ。

「まったく、何を考えてるんだろう。ああいうのサイテー」って。上げ膳据え膳で仕事をしていただろうナントカ部長さんには、何れにせよまったく通じない話だっただろうが。エレベーターで女性を譲る国もあれば、譲らない国もある。交通事故で困っている人がいても傍観する国もある。問題は何が「世の中いろいろですね」で終わってよい話で何がそうではないのか、どこでこだわりの一線を画するかだ。