カフェのない人生

フルトヴェングラーの評伝つながりで、音楽評論家の長木誠司が著した『第三帝国と音楽家たち』を読んだ。1998年の発行、ヒトラー政権下のドイツにおける政治と音楽の関わりを実証的に追った労作である。


長木の著作は、音楽之友社の「音楽選書」のシリーズのひとつとして刊行されており、一般向けの読み物ではあるが、テーマも記述の内容も論文的なつくりの著作だ。よく調査が行き届いていることについては脱帽ものである。長木誠司は新聞で読む音楽時評でしか知らなかったのだが、この人は立派な学者さんなのだ。当時の政治的背景をワイマール時代に遡ったところから解説する第一章に始まり、ナチ政権の誕生によって音楽活動が一元化される動きをきれいに整理して説明する。これ一冊を読めば、当時のドイツ音楽界の動きを鳥瞰図的に抑えることができる。


しかし、取りあげられているトピックや人名はかなりの数に上るので、ひとつひとつを記憶に残すのは普通の読書の範囲ではとても無理だと思う。それに、リヒャルト・シュトラウスフルトヴェングラーヒンデミット、ヴェーヴェルン、シェーンベルクカール・ベームカラヤンなどの名前になじみと興味がないと読んで面白いものではないだろう。

それにしても、政治に翻弄され、人生の舵取りを必ずしも自らの意思でできなかった時代の物語は切ない。
ナチの迫害から逃れて亡命した音楽家がもっとも多かったのがアメリカだった。

東海岸では、≪三文オペラ≫や≪マハゴニー≫といった初期の作風からまったく離れて、ブレヒトとの時代も忘れてしまったようなヴァイルや、反対にユダヤ人でもなく、ヒトラーに嘱望されていたにもかかわらず、新大陸ではもっぱらヴィーン情緒を売り物にして、いっさい変化や変節というものを知らずにすんだロベルト・シュトルツのふたりが、ブロードウェイのミュージカル音楽の領域で活躍し、華やかな生活を送ったが、それに優とも劣らないのが、西海岸のロサンジェルスを中心にして形成された、亡命者たちの一見華やかなコロニーであろう。映画産業の盛んな西海岸は、音楽家たちにとっても大きな収入の源泉であったが、それとは別に、気候風土が多くの亡命者たちを呼び寄せた。
(『第三帝国と音楽家たち』p148)


トーマス・マン、彼の兄ハインリッヒ・マン、作家のリオン・フォイヒトヴァンガー、シェーンベルク……。数多くの文化人がロサンジェルスに集まった。だが、当時のアメリカと欧州の文化の差異は大きい。比較的小さな街にも歌劇場がある欧州のように、クラシックの音楽家を吸収する下地がアメリカにはなかった。だから、苦労したのは無名の人たちばかりではなかった。


彼らはすべて、生活に関してはさほどの不自由を感じなかったが、文化的にはかなりの渇きを覚え、また電話と車を通して初めてお互いの連帯や近隣関係を成立させられるような風土に、どうしても馴染めなかった。芸術が公民のものというよりも、まだ個人の贅沢品と見なされていた土地、ヨーロッパには普通にあったカフェも劇場もない<異国>の地ロサンジェルスで、彼らは孤立してしまい、会うのはもっぱらお互いの住居でということになった。
(同書 p150)


「カフェも劇場もない」人生。いま、インターネットがなくなったとしたら、ブログでのおしゃべりを活力に生活している自分はロサンジェルスのドイツ文化人たちが味わった孤独感を幾ばくかを追体験することになるのかもしれない。インターネットはカフェという比喩は自分にとって悪くないと思った。


音楽選書(77)第三帝国と音楽家たち

音楽選書(77)第三帝国と音楽家たち