「考える人」の吉田秀和×堀江敏幸対談で驚いたこと

新潮社の季刊誌「考える人」が吉田秀和さんのインタビューを掲載していると教えてもらい、早速購入した。インタビュアーは堀江敏幸さんで、冒頭に吉田邸の庭に椅子を持ち出して二人が話をする写真が大きく掲載されている。一見して分かるとおり、それは先日NHKが放送した『言葉で奏でる音楽〜吉田秀和の軌跡〜』で紹介された二人の対談を紙上で再現した内容なのだった。


映像と文字の違いがあるにせよオリジナルは同じ内容なのだから、先日見聞きしたお二人の話を繰り返し、今度は文字で消費するだけかと思ってしまうところだが、同じ曲を違った演奏家で楽しむような違和感と楽しみがそこにはある。だから、もし、先日の放送を御覧になった方で、もう一度あの余韻を味わいたいと思っている方が手に取れば、楽しめる内容になっていると思った。


何よりも放送では紹介されなかったコンテンツがかなり読める。吉田さんの発言自体そうだし、映像では堀江さんの話が刈り込まれてしまって対談というよりも、吉田さんのモノローグになってしまっていた部分は、堀江さんの発言が生かされることによって、よりスムーズで見通しのよい、対話の全体像が分かるものになっている。これはいいと思った。


逆に事後に校正が入る文字媒体ならではの特質も、先に映像を見てしまった我々には明らかになる。吉田さんは文章の人であると同時に座談の人、話し言葉の人でもあるので、そうした吉田さんを聞く楽しみはやはりテレビには勝てない。とは言え、これは文章の達人である二人の人物の校正なのだから、一級の変奏曲である。


それよりも、なによりも、驚いたのはこのブログで紹介した小林秀雄さんの『モオツァルト』に対する発言の部分。先日吉田さんがこんなこと言ってましたよ、と書いた部分はきれいに加筆・修正されてしまい、過度な言葉はどこかへ行ってしまっている。つまり「僕ならもっと書けると思った」、「音楽的じゃない」といった部分のこと。店頭に並んでいる雑誌なので、ここで書きすぎると営業妨害にならないとも限らない。ご興味のある方は、ぜひ、本文に当たってください。


吉田さんのテレビで流れた発言は本心がこぼれ出たものだと思うが、それによって生じるかもしれない誤解はご本人の望むところではなかったのだろう。「考える人」の対談では、40年前にエッセイで書いた要点、つまり先日梅田さんが彼のブログで引用してくれていたところを持ってきて映像に映った部分とうまくつなげるような処理をしている。死人に口なしの状況で、今になって少しでも自身に圧倒的な影響を与えた書物と人物をけなしているかのようにとられるのは吉田さんとしては嫌だったのかも知れない。


http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/high/high74.html