スリッピー

さわやかな初夏の空気が流れ込んでくるような梅田望夫さんの文章を読んで、アメリカに駐在していた頃のことを思い出した。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070611/p1

小学校2年生でアメリカの現地校に通い始めた長男の現地への適応はことのほかたいへんで、何といっても英語のキャッチアップが最初で最後の難関だった。アメリカの2年生から5年生までまるまる4期を過ごしたうち、最後の1年はそこそこ以上についていけるようになり、いろいろな面でとても楽になったが、とくに最初の2年間は帰宅すれば彼の宿題にかなりの時間付き合う毎日が続いた。外国など行きたくもない子どもを連れて行ったのは僕なのだから自業自得ではある。それに家内の大変さは僕の比ではなかったから、それを考えると文句を言うのは罰が当たる。

それでつくづく思い知らされたのだが、4年生の授業ぐらいになると、子どもが通った公立校ではけっこうな分量の文章を読ませられ、その中には僕が知らない英単語がたくさん出てくる。自分の英語力が4年生に達していないのを知って納得するやら、悲しいやらだったが、けっきょく子どもの勉強を見るといいながら自分が英語の勉強をさせてもらっていたようなものだ。そう、4年生どころではない。1年生や2年生だって皆知っている斜線だとか、折りたたむだとか、休校だとか、糊だとか、生活に密着した言葉は大人の僕は何も知らなくて、そういう表現はぜんぶ子どもと子どもの友達に教えてもらったような気がする。

子どもの学校を通じて教えてもらった言葉の一つに「滑りやすい」を意味する「slippery」があった。冬は雪で道のあちこちが滑りやすくなり、雨が降れば廊下は滑りやすくなるわけだから、四六時中使う言葉の一つだった。日本では免許を持っておらず、米国では不安の中で運転をしていたために、そんな状況下も含めてしょっちゅう「slippery」と言っていたような気がする。

ところが日本に帰ってきてサッカーの試合をテレビで見ているとへんな英語を解説者が使っている。「スリッピー」だ。「グランドはそうとうスリッピーになってきましたねえ!」という風に使う。最初に聞いたときには、こいつ、なんかへんなこといってやがると思っただけだったが、さらに別の機会、やはり日本代表の試合の放送で別の解説者が「スリッピー」と言っている。と思うや、昨年のワールドカップのときだったか、NHKのアナウンサーまでが「スリッピー」と大声を上げているではないか。これを耳にするに及んで、さすがに英和辞典を引かざるを得なくなった。もしかしたら、「slippy」という言葉あって、たんに僕が知らないだけかも知れない。サッカー発祥の地である英国ではそんな言い回しを使うのかも知れない。でも僕の辞書には「スリッピー」に相当する英語はどうやら存在してなさそうだった。長男に「ねぇ、"滑りやすい"って英語でなんて言う?」とおそるおそる尋ねたら、「slipperyだろ」と、当たり前のことを聞くなよみたいな気のない返事が返ってきた。日本に帰りたいと泣き叫んでいた長男は、いまやアメリカが大好きな英文学科の学生さんで、体育会アメフト部のワイドレシーバーなのであった。

「He is more playful!」

梅田さんのコラムで、英語が教養や単なる仕事の手段だけではなかった「人生の時」のことを思い出し、と同時に、人気の少ないアメリカの住宅街を散歩する梅田さんと11歳のわんちゃん、9歳の男の子の交歓が映画の一こまのように僕の中で映像となって生き生きと動き出すのだった。日本では(といったら一般化をしすぎで、僕が生活をしている東京や横浜ではというべきかもしれないが)、そういう出会いの場がない。知らない人、初めて会う子どもたちとおしゃべりを楽しむ時間に出会うことがない。梅田さんのコラムは、犬ならぬ小さい子どもを連れたかつての自分自身をどこかで思い起こさせるのだろう。筆者の梅田さんの意図とは少しずれているかもしれないが、個人的には切ない気分を発動する五つ星コラムだった。