フィンランドの思い出

転職する以前には年に1度ならず海外に行く仕事をしていた。最後になったのは2000年のスウェーデンフィンランドで、両国ともに生まれて初めての訪問だった。フィンランドの首都ヘルシンキには4日ほど滞在した。


10月下旬だったが、寒々しい土地だった。フィンランドと言えば、森と湖、オーロラ、ムーミンなどきれいなイメージしかなかったが、針葉樹の森が広がるなかに土地の広さなど気にすることなく作られた首都はどこかすきま風がひゅーひゅーと吹いているような印象の頼りなさがあり、また欧米的な洗練とは異なるあの土地ならではの佇まいが存在していて不思議な町にきたものだと感じたのを思い出す。寒い土地といえば僕が知っているのはニューヨークだが、青森ほどの緯度に存在するニューヨークも冬は雪も積もり、路面は凍る土地だったが、雪空と快晴の日が交互にあらわれて、欧州のどんよりとした雲の日々が続く毎日とは異なる明るさがある。ヘルシンキは、まだ10月だというのに、それまで数日間過ごしたストックホルムともまったく異なる冷たさが町を覆っていた。まだ秋の晴天が頭上から降り注いでいるのに、吹きすぎる風は港の方角に向けて一本調子の強さがあり、長く戸外にいると体が心から冷えて、筋肉が固まってしまうようだった。街の中心部は古い石造り建造物が多く、戸外広告・宣伝の地味さ、少なさがよく言えば清潔、見ようによっては単調なパターンを形作っていた。


フィンランド人はフン族の末裔だそうで、お隣のスウェーデン人とはまるで面相が違う。中央アジアから西に行った人たちがフィンランドに行き、東に行った人たちがモンゴルや中国や、あるいはその一部は日本にも来たのだろうと考えると遠い親戚のはずだったが、彼らの鋭角的な顔立ちはとてもアジア人と遺伝的に近いとは思えなかった。


いくつかの会社を訪れ、また、勤め先と関係の深かったある学者が仲介してくれて、郵政省の事務次官にまで会うことができた。事務次官といってもいかめしいおじさんではなく、背の高く頭の回転が速い女性の方だった。とくに仕事の必要があったわけではなく、握手をして、港を望む小ぎれいなレストランで昼食をご一緒した。話の内容はすっかり忘れてしまったが、一つだけ覚えているのは「私も今回初めておじゃましましたが、日本から訪問者は少ないでしょう」と尋ねたら、「あまりいません。この前お会いしたのは名前を忘れてしまいましたが、郵政省から来たyoung ladyでした」と言う。あとで考えたら、大臣をしていた当時の野田聖子さんのことだった。あの口ぶりだと、ほとんど表敬訪問でなんら実質的な話はなかったのだろう。あちらに野田さんの印象はほとんど残っていない様子だった。


このときはひとり旅だったので、夜の自由時間はこっちのもの。ヘルシンキでは土地のオペラで『マダム・バタフライ』を観た。背の高いフィンランド人に混じって、イタリア語で演じられる、不思議な東洋風コスチュームの蝶々夫人の舞台を味わった。
味わうと言えば、アジア系料理を食べたがる僕は毎晩、街角で見つけたマレーシア料理屋さんに通ってカレーを食べていたっけ。生まれて初めてマレーシア料理屋と名の付くものを食べたがおいしかった。冷たい石の街で生涯を送っているマレーシア人の素朴な雰囲気のご主人、奥さんに人種的なつながりと暖かみを感じた。

あれから、もう7年も日本を離れていないことになる。