逃走の先

『三上のブログ』の三上さんが“国家安全保障"絡みの議論を闘わせる夢をご覧になっていた(■「初夢」(『三上のブログ』2007/2/11))ちょうどその頃、僕はある方のビジネスの実践について話を聞いていた。僕より年格好は一回り若いが、知性といい、人生に対する覚悟といい、あるいは戦略・戦術眼といい、僕などあと2回生まれ変わっても追いつけそうにない人間としての格のようなものをお持ちの方だった。


何度がお会いしたことがある著名な若手学者のMさんと似た風貌のこのベンチャー経営者Aさんには、そうしようと思えばいくらでもできそうなのに、ビジネスの拡大、キャピタルゲインに対する欲望を根本的に欠いたところがあることに気がついて実に興味深く思った。「儲ける気のない優秀な経営者」という如何にも論理矛盾を抱えた人物に対して猛烈に興味が湧いた。僕は訊いた。

「Aさんは最終的に望んでいるものは何なんですか? 物事があなたの理想どおりに運んだとして、何を実現したいのですか」


彼の答えは意表をついたものだった。


「単純労働が好きなんです。9時から5時まで駐車場の管理をするとか、工場で生産機械を操作しているとか。あとは、自由になる時間でしょうか。今だと家族と過ごす時間かな」
実際に彼は“生産機械の操作"をある時期仕事として行っていた経験を持っているのだった。


僕の頭の中でAさんと直線的に結びついた人物は『馬鹿馬鹿しさの真っ只中で犬死にしないための方法序説』、あるいは「逃げて逃げて逃げまくる」意義を語った『赤頭巾ちゃん気をつけて』の庄司薫だ。丸山真男の弟子だった庄司の場合、70年安保の政治的な季節の中で、いたずらに高邁な理想やメディアの浅薄な鼓舞にとっつかまって“犬死"しないために、逃げられるまで逃げろと説いた。そんな生き方を芥川賞受賞作以降の4部作と二つのエッセイ集でアジテートした後、彼は自らが自身のアジテーションを実行するかのように華々しい世間のスポットライトの外へと逃げまくる行動に出て、以降まったく表だった活動をやめてしまった。小説の主人公に「そうしたい」と言わせた中村紘子との結婚を現実のものとした庄司は生産の外で生きることを始める。少なくとも、我々が理解するところでは、彼は中村紘子に経済的に依存する生活を選択したことになっている。


夢や理想を壊さずに、長く懐に暖める、そのために大切なものをしっかりと隠したまま逃げなさいと庄司は言っていたと思う。だが、どこへ、ということについては一言も語ってくれなかった。彼自身は中村紘子さんというシェルターを見つけたわけだが、これは方法論としては普遍性がない。そのことで彼を責めるのはお門違いかもしれないが、読者の誰もが感じる庄司さんの大きな物足りなさだ。


その後、“逃げる"ことを思想的な戦略として語ったのは言わずとしれた浅田彰の『逃走論』。スキゾ・キッズだ。庄司の逃走は、ゲリラの頭目としての優秀な兵士に対する作戦指令の趣があったが、自分自身がスキゾ・キッズの浅田彰は現状を歌い上げるフォーク歌手のような存在だった。「軽やかに逃走すればいいんだ」というメッセージは心地よさをはらんでいたが、ちょうどその頃社会に出たてで、余裕のない僕には戯言に聞こえた。浅田のポスト構造主義は時代には寄り添ったが、時代を先導することはなかった(そもそも、そうしたことを拒否していた)。


Aさんは高等なスキゾ・キッズなのだろうか。たっぷり睡眠を取らないと駄目なたちなので大学の教師になったと冗談半分に語っていた浅田を思い出すと、そうなのかもしれないという気がする。ただ、Aさんの場合、庄司さんも浅田さんも提示することがなかった逃走する先のイメージ、どこを目指すべきかを思いがけない実践の結果として僕の前に披瀝してくれた。


「9時から5時まで(別に4時でもいいのだけれど)の、堅実で手触り間のある労働の時間と、それが終わった後の自分が自由になるゆったりとした時間」


このメッセージが非常に価値があると感じられるのは、そこでターゲットとされているライフスタイルが、一般の労働者にも等価に分け与えられる可能性を孕んでいるからだ。Aさん自身は平均的なビジネスマンからはかけ離れたスーパーマンのようなところがある人だと思うのだが、そういう人がうなるような額のお金や、豪邸や、自家用飛行機といった付加価値を目指すのではなく、「お金はこれぐらいあれば十分、あとは時間」と言ってくれたら、そんな人たちが少しずつ増えていけば、世の中少し変わるのではないか。経済格差が問題となっている日本の社会の中で、そうした理想像を掲げた社会の構築を政治家が真面目に取り上げたら、少しずつ変化していくものがあるのではないか。


「そういう欲望の持ち方は不自然、異常だよ」という声がどこからか聞こえてきそうだし、全てにおいて計算ずくの対応が可能なAさんの言をどこまで文字通りに取ってよいのかは僕にも分からないところがある。ただ、ここに新しい時代を考える大いなるヒントがあるのは間違いないと思う。Aさんには、また会ってみたい。