港北区民交響楽団の第九を聴く

横浜のアマチュア・オーケストラ、港北区交響楽団の20周年記念第39回定期演奏会を聴く。創設メンバーであるトランペッターのかわい君のお招きに預かり、桜木町のみなとみらいホールに出かけた。プログラムはベートーヴェンの「レオノーレ第3番」と「第九」。今日はオケの20周年記念であると同時に、永年このオケを指導してきた指揮者の先生が退任が退任なさる演奏会でもある。そして「レオノーレ」の場外ファンファーレをかわい君が吹くのだ。


「レオノーレ」第3番の途中で鳴るファンファーレは、主人公を救出する大臣ドン・フェルナンドが、お話の舞台である刑務所に到着したことを象徴している。正義の味方の到着を知らせる重要なパートだが、“高らかに"というファンファーレにありがちな形容がまったくそぐわない、気のない調子で鳴り始め、と思うと急にシンコペーションで同音のスタッカートを畳みかけるように重ねて緊張感を加味していく。金管楽器のことなど皆目分からないので、技術的な難しさは知るよしもないが、あの速いスタッカートは緊張を強いられそう。舞台である刑務所の外から遠く響いてくるラッパの音を再現するために、多くの場合、このパートは舞台裏で演奏される。僕もプロの演奏で何度か聴いたが、今までは例外なくそうだった。これに対し、今日のファンファーレは、最上階である3階奥にトランペッターを立たせるという趣向で行われた。これがなかなかよかった。


曲の終盤、オケが一瞬鳴りやむなか、オケを引き継いだトランペットの音が天井から降り注ぐ。その瞬間、1階前よりの席にいた僕は思わず目を上げ、思わずホール内の大きな空間を凝視した。その中を力強く太い音の束が放射される。とくに2回鳴り響くファンファーレの2回目、より強く鳴らされたトランペットの音は芯のあるきれいな音色でホールに虹をかけた。個人的には、これを聴かせてもらっただけで大満足。


後半はこの日のメインディッシュである第九。20年間聴かなかった第九をこの1年で3回も聴くことになったのはどうした偶然だろう。港北区交響楽団の演奏は、たいへん整備されており、小さな事故はあってもなかなか安心して聴けた。僕自身、この楽団を聴くのが5回目と回を重ねてきたので、弱いパートは最初からそういうもんだと心得て聴く用意ができている。そういう聴き方をするのは、一緒になって音楽を楽しむためのマナーであり、一種の技術である。中庸のテンポ、それもインテンポを基調とした演奏で、仕上がりはとても端正。高齢の方が目立った合唱団の熱唱共々、フィナーレに向かって大いに昂揚する。「第九を聴いた」という感慨をちゃんともらって満足して帰宅の途に着いた。


それにしても、こうしてアマチュア・オーケストラを聴くと、作曲家と演奏家の共同作業、演奏家同士の共同作業によって成立する音楽のすばらしさを再確認させられたという強い思いを抱く。ダンスも、演劇もそうだが、聴衆・観衆との一体感を醸成する舞台芸術はいいなあ。それに比べると美術や文学はたいそう孤独な作業であること。


■港北区民交響楽団のホームページ