オーディオ・スパゲッティ

村上春樹さんのエッセイは小説ほど面白くない。『村上朝日堂』など、軽妙洒脱の域を狙うエッセイをたくさん書いてはいるのだが、この人は真面目なものじゃないととびきりの芸に接した感動が届いてこない感がある。軽いエッセイに向いている質ではないのだと思う。文章よりも安西水丸さんのイラストの方が記憶に残ったりする。いや、ご本人はああしたもので日銭を稼いでいたというだけでなく、どこか心のバランスを取るような役割をそれらに託してきたのだろうが、本質的に笑いを取るコメディアンのような役回りの人ではないのだ。その点、このブログでも紹介した『意味がなければスイングはない(「村上春樹の優れた音楽エッセイ」2006年7月17日)は、村上さんの突き詰めて考えるタイプのエッセイでびんびん響いてくるものがある。


とは言え、村上さんのエッセイで読んで以来、意識から抜けない表現がある。「オーディオ・スパゲッティ」がそれ。ステレオ装置の後ろの、何本ものケーブルがとぐろを巻いてぐちゃぐちゃなさまを表現した言葉。オーディオ装置を触ってスピーカーケーブルやAVケーブルの抜き差しをするたびに思い出すのだが、今日もアンプの裏側を掃除しようとしてスパゲティと格闘することになった。


そこで、どうしたった思い出すのが『記憶する住宅』だ。夢想家・美崎薫さんの『記憶する住宅』にはケーブルがない。ほんとはないわけではなくて、家の中を縦横無尽に走っているのだが、それらの存在は端末機器もろとも壁の向こう側・天井裏・軒下にきれいに隠されている。ケーブルってそこまで邪魔か?と訊けば美崎さんは邪魔ですと答えるはずだ。ここには合理性ではなく美意識がある。ある人にとって本当に大事なことは得てして合理的な説明を拒むものだ。理屈じゃないってやつ。


ところで、美崎さんのSamrtCalendar(N)はメモを書き、一覧する道具として毎日素晴らしく重宝している。もう少しメモの量が増えてくると、企画者の美崎さん、開発者の中村聡志さん推奨の「Namazu」による検索機能が欲しくなりそう。実は導入しようとしたら、うまく入らない。正確に言うと、Namazu以前に、その導入に必要な「ActivePerl」のインストールができない。エラーメッセージが文字化けして読めず、何が悪いのかよく分からないのだが、どうも「ActivePerl」のインストールに必要な「Microsoft Installer」のバージョンが古いらしい。そいつを入れ替えるためにMicrosoftの「Install Clean Up」を入れて作業をしてみたが、うまくいかない。ったく、コンピュータは一から十まで合理的に決まりに則って作業をしないと動かない。不便なもんだ。もっとも、原稿書きのために、ひと月程度の短期間のメモを整理する道具としてなら、検索機能は必要ない。当面はそんな使い方でいくつもり。