人間捨てたものじゃない

はてな近藤社長が3回にわたって最近の会社のサービスレベル向上に向けた取り組みについてダイアリーで報告している。その第3回に当たるユーザビリティー・テストの記述。

昨年末に初めてテストをした時のことは今でも忘れることができません。本当に基本的な操作でも多くの人が戸惑っているのを見て、恥ずかしくてこちらが逃げ出したくなる思いでした。こんな事も気付かずに今までサービスを作っていたのか、と感じました。
■始めてきた人がすぐに使えるはてなにしたい(『jkondoの日記』2007年11月6日)

「恥ずかしくてこちらが逃げ出したくなる思いでした」という表現の率直さと繊細さに近藤さんの人間性が表れている。商品・サービスの開発に携わる者の姿勢として正しいという以前に、その感じ方は人間としてとても正しいと思う。いわゆるITリテラシーが高い人たちの中は、技術を知らない人を赤ん坊のように扱ったり、見下したりする人もいるが、僕の知っているエンジニアの大多数は、例えば僕のように技術に不案内な者に対しては得てして親切だ。その点は間違いない。知者の余裕のようなものを感じさせる人がたくさんいる。でも、『jkondoの日記』に記されているフィールド・テストのような状況に置かれたときに、恥ずかしくて逃げ出したくなる感性を持っている人は、それほどたくさんいるとは思えない。こんなところにはてなの良心の根っこを見た気がした。

はてなのように、小さくはあっても一定の層にそれなりの影響力を持つ会社のトップがこういう風に発言することの意義は小さくないと僕は思う。北から吹いていた風が突然南から吹き始めるように、すぐ、何かが変わるわけではないとしてもだ。(できれば近藤さんには、どんなに経営や日常業務が忙しくても、せめて月に一度は会社を近藤さんの言葉で知らせてもらいたいと思う。はてなダイアリーの宣伝のためにもそれは重要だろうし。)

近藤さんの文章を読んだおよそ1時間後、僕は村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』を東海道線の電車の中で読み終えた。思いがけず、正直なところまったく期待していなかった深い読書となった本書だが、その「後書き」は次のような文章で締めくくられていた。

そして最後に、これまで世界中の路上ですれ違い、レースの中で抜いたり抜かれたりしてきたすべてのランナーに、この本を捧げたい。もしあなた方がいなかったら、僕も多分こんなに走り続けられなかったはずだ。

村上さんは本書の中で徹底的に自分自身にこだわる。「僕はこれまでに旅行記やエッセイ集はいくつか出しているが、このようにひとつのテーマを実にして、自分自身について正面から語ったという経験があまりないので、それだけ念を入れて文章を整えなくてはならなかった」(「後書き 世界中の路上で」より)というほどに村上春樹村上春樹を描いた作品である。
そうした文章の最後が、彼と一緒にレースを走ったランナーに向けた謝辞で締めくくられている点に、僕は村上さんの世界観を読む。本を読んでいない方にうまく伝えるのはできない相談なのだけれど、村上さんは単なる言葉のあやではなく本心で言っているなとその瞬間に納得できてしまった。この人は自分がシャイで人付き合いが悪いことをエッセイのなかで繰り返し文章にしているし、それはこの本でも同様なのだが、そこには自分を語ることに対する一種の照れも大いに反映されているのだと思う。この文章を読んだとき、少し前に読んだ近藤さんのひと言がじんわりと僕の中に帰ってきた。