吉田秀和さんの文章

mmpoloさんが、僕のためにとわざわざ朝日新聞に掲載された丸谷才一さんの吉田秀和さんに関するエッセイを紹介してくれた。感謝感激です。mmpoloさん、ありがとうございます。


■丸谷才一による吉田秀和と小林秀雄(『mmpoloの日記』2006年10月1日)


はてな」が新たに導入したRSSキーワードウォッチ機能を使って「吉田秀和」が文中に登場するブログを検索できるように細工をしたところ、見つけたブログが『mmpoloの日記』。そのことをmmpoloさんが気にとめてくださり、あらためて詳しい情報を教えていただいたという次第である。「はてな」と「吉田秀和」は僕とmmploさんの縁結びの神なのだ。


丸谷才一さんが吉田秀和さんを当代ナンバーワンの批評家と目しているとは知らなかった。mmpoloさん同様、僕も「いいぞ、丸谷才一」と一声かけたくなった。あの長い小説をいくつも読んでいるはずなのに、短編『横しぐれ』以外いいなあと思ったことがないというのが僕の丸谷才一さんの小説に対する感想。技巧的な面を言えば、頭がよくて勉強をしているのはものすごくよく分かるんだけど、説明癖が勝ちすぎていませんかねえ。


丸谷さんの話は脇に置いておくとして、吉田秀和さんである。吉田さんは西洋音楽を職業とする世界やその取り巻きである僕らのようなクラシック音楽ファンにとっては、王、長島、松井、イチローと同じくらいの有名人である。しかし、クラシック音楽に興味がない方にとっては、実はどこかで聞きはするけれど、という程度の存在なのではないかと思う。その不思議なギャップのゆえに僕は人前で「吉田秀和」の名前を口にすることがほとんどなく過ごしてきた。クラシック好きに対して「僕は吉田秀和が好きです」と言ったところで「みんな、そうなんじゃないの」と突き放されるか、はたまた「君は保守的なつまらん奴なんだねえ」と内心で軽蔑されるかのどちらかだろうし、西洋音楽に興味がない人で吉田さんの著作を読んだことがある人の比率はものすごく低いはずなので、共通の情報をほとんど共有できない。吉田秀和の名前を、僕はこのブログで何度が口走っているのだが、実は誰かと吉田秀和について議論やおしゃべりをしたことなどただの一度もないのだと、これを書きながら思い至る。吉田さんの立ち位置が独自であることが大きな理由だが、彼の文章はそもそも他人と口泡とばして議論するのに似合わない。


吉田秀和さんは1913年の生まれ。東京大学文学部仏文科を卒業した後、昭和二十年代から音楽評論を開始し、日本を代表する音楽評論家。今をときめく桐朋学園音大の前身である「子供のための音楽教室」を斎藤秀雄、井口基成、柴田南雄らと設立。水戸芸術館の館長を務めるなど、音楽界に多大の貢献を行い、小澤征爾を始めとする日本の音楽家に対しては評論の中で常に変わらない支援を行っている。と、こんなことは僕が説明することではないので、詳しくはWikipedia「吉田秀和」をご覧ください。


吉田秀和さんは、常に“創造とは何か”を問い続けてきた人だ。吉田さんの音楽評論家としての力量は、僕のような一介の些末読者が云々することではない。あらゆるクラシック音楽の文章書きは吉田さんとの距離を測りながらなされるだろうし、読まれているはずだ。吉田さんの音楽評論に僕らは、楽譜を読む能力、楽譜を解釈する技術力と、ドイツ語、フランス語、英語を駆使して、ボードレールランボーなどフランス近代詩や印象派絵画など欧州文化のもっとも良質な果実を味わい尽くし、日本の文学や歌舞伎、相撲にも通暁した粋人でなければ持ち得ない知性と感性の理想的なバランスを読む。吉田さんの著作をさして、「あれは評論ではなく、エッセイだ」という悪口があるらしいが、それは僕にとっては吉田さんの美質そのものを表す表現に他ならない。


モーツァルトやベートーベンに興味がない方には、やはり吉田さんの音楽批評は苦しいかもしれない。であれば、ぜひ、音楽以外のエッセイを手にとっていただくのはどうだろう。そうした分野の著作で僕がもっとも美しいと思うのが『ソロモンの歌』(河出文藝選書 1976)。その巻頭に掲げられた「中原中也のこと」は吉田さんが高校生の時にフランス語の家庭教師だった中原中也の思い出を書き綴った絶品。僕は文学者を素材としたエッセイの中で、これ以上に印象的な作品を知らない。そして、難解な言葉を少しも用いずに世界のありよう、その奥の深さをを丸ごと表現する吉田秀和さんの真骨頂が表れた逸品である。上善水の如し。


中学生の時には伊藤整に教わり、また中原中也との関係を出発点に小林秀雄青山二郎大岡昇平など日本の戦後文化史に名を連ねる人々との交流を持った吉田さんの、これら文学者に対する一筆書きのエッセイは、いかに少ない言葉で多くの、深い想像を読む者に与えることができるかの見本である。『三人 −小林秀雄伊藤整大岡昇平』も小林秀雄肖像画としては僕がもっとも好む小品。吉田さんの著作が文庫から消えていき、いま『ソロモンの歌』は書店では手に入るのかどうか。以前は河出の文庫で出ていたはずだが、どうだろう。珠玉のエッセイを吉田秀和全集でしか読めず若い人が気楽に手に取れないとすれば、日本にとって損失だよと思う。


『三上のブログ』で名前は聞き知っていた程度しか存じ上げなかった美崎薫さんの文章を読むことによって、記憶というキーワードを生まれて初めて意識することを余儀なくされ始めている。美崎さんの文章と自分の(たかだか三ヶ月半に過ぎないが)書いているブログとを読み返しながら、自分でそうだったんだという思いがいくつも湧いてくる。そんな不思議な気分の中で、これも今日のブログ書きをしながら思い起こした、しかし自分がまったく忘れていた事実は、僕が高校や大学の頃、ものを書くたびに一生懸命吉田さんの文章を模倣しているということだ。ずっと意識から落ちていたのだが、だからこのブログの文章も、無意識のうちにかなり吉田さんの稚拙な模倣になっているはずだ。吉田秀和大江健三郎開高健。この三人は僕にとって文章修行の師匠だった。


最後にとても小さな昔のエピソードを一つ。いわゆる本命だった私立大学の入試試験。これ落ちたら浪人だなあと観念しながら、最初の教科である国語の問題を開いた僕の目に飛び込んできた問題文は、高校時代に読みふけった吉田秀和著『主題と変奏』の冒頭の一文だった。受かったかって? それをお訊きになるのは野暮というもんでしょう。